オーラ、その人を映し出すもの
この頃、地域の実業家の方々と遠巻きにお会いしたり、話すことがあって、ふと思う。皆さん、もちろん私よりも年齢は上であるが、纏っているオーラが違う。宝くじでの一攫千金を狙い、ギャンブルに投資?し続ける、かつて私の周りにたくさんいた人々とは、かなり異なるオーラ。人って、纏っているオーラというか、エネルギーというか…そういう物があって、惹きつけあったり、遠ざけあったりするのかもしれない。
私自身も何らかのオーラを纏っているのだろうが、残念ながら自分ではよく分からない。それでも気付いたことがある。
私は看護師であるが、かつて、とあるデイサービスで音楽レクをやっていた。今、勤務している施設にも音楽療法士さんがいて、ピアノを演奏し、入居者さん達と歌を歌っている。音楽レク中、彼女はとても好い表情をしていて、優しいオーラを纏っている。参加者は希望者だけとは言え、誰も船を漕がず、皆歌っている。かつて同じようなことをしていた私は、いつもその様子をちょっと尊敬しつつ、ちょっと羨ましく思いつつ見ている。
私のいたデイサービスには、ピアノがなかった。音楽レクをするにあたり、キーボードを借りて、仕事以外に毎日1時間以上ピアノを練習するのはもちろん、歌詞カードや小道具などを作った。サービス残業だ。家でも仕事、もちろん施設でも仕事。自分なりに全力投球していた。キーボードを貸してくれる人がいなくなった後は、自腹を切ってキーボードを購入。施設まで担いで出勤した。ご利用者さん達に少しでも良い刺激になれば、楽しんでいただければ…という思いもあったが、むしろ自己満足させるためにやっていた部分もあった。
で、実際音楽レクはどうだったかと言うと。半分の利用者さん達は楽しそうだったり、熱心に歌ってくれていた。けれど半分はウトウトして舟を漕いでいた。眠っていたのだ。
その大きな原因は実施した時間。音楽レクのみならず、レクリエーションは入浴して昼食を食べて、少し休憩した後に行っていた。介護士のレクリエーション中もやはり半分くらいウトウトしていた。少しでも相手の興味を引くようにと手拍子や足踏み等、座ったままでもできる動きを入れながら歌ったり、色々考えてやってみたがあまり効果はなかった(眠る人は眠る)。ある歌を英語で歌ってみようと、英語の歌詞を発音通りカタカナ表記してみたり。(英語の歌なんて出したらクレームがすごいので。)手を変え品を変え、いろいろやったなぁ…改めて実感…。
それでも結局、自分自身がキツくなって、楽しめなくなって、やめてしまった。周りから『やってね』とも言われなかったし。シューッとやめることができた。辞めたら楽になった。相手の反応に一喜一憂することもない、眠っている人を無理やり起こすような仕掛けを考える必要もない。何より仕事から帰宅した後や休日にピアノの練習をしたり、小道具や歌詞カードを作る等の余分な仕事をする必要もなくなった。本当に楽になった。私が一人でやっていることだと認識していた様で、周りも手伝ってはくれなかった。まぁ、私からお願いしたら手伝ってくれただろうが、そんなもんだったんだろう。とにかく、余裕がなかった。
そんな私の状況や背景、姿勢や思いが、音楽レクの最中に、オーラとなっていて、私自身、纏っていたのかもしれない。私が彼女のように、もっと楽しそうなオーラを纏うことができたなら、もう少し楽しく音楽レクを続ける事ができただろうか…。