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shimico的、休職の使い方

お疲れ様です、shimicoです。

休職してからしばらく経ちました。

なぜ休職したのかはこちらの記事をご覧ください。⇩⇩

自分色の時間

毎日がSpecial Day!というわけではありません。

一応闘病中ですから。

前にも書きましたが、
気分の起伏が激しく、会社に関連することを思い出したり、
急に気分が落ち込んだりすると謎の不安と動悸が襲いかかってくる日々。

休職という時間と自由を貰った代わりに、
今まで気にすることのなかったこと、
気にする必要がなかったことに不安と恐怖を抱くようになりました。

●自分は社会から置いてきぼりにされてしまった。
●同期と差がついてしまう。
●同級生の友人は社会人として頑張っているのに、
私は会社の些細なことで何もかもを放棄して逃げ出してしまった。
●私はダメな人だ、社会不適合者だ。etc…

独りになったとき、夜になったとき、私はいつも自分に対する
不安、虚しさ、辛さ、苦しさ、怒り、悲しみ、申し訳なさが
こみ上げてくる。

これらの感情が意味もなく動悸という形で会社と社会に
拒絶反応を起こしている。

そんな中、私は何をしているのか。

まあ興味ないとは思いますが、
このようなことを共有できる場なのがnoteというコンテンツだと思うので
敢えて言わせていただきますと

●心療内科へ週一の通院
●母方の祖父の通院のため病院まで車を使って送迎
●母のおつかいの車(あし)になる
●高校や大学の友人と時間が合えば会う
●読書
●家の手伝い
●朝ドラ(虎に翼)を観る(終わっちゃいましたが…) etc…

大学時代までを振り返るなかで、今まで出来なかったことや
やってこなかったことを時間ができるようになりやるようになりました。

どれも基本的にやってこなかったことでしたが、
特に変わったことは母方の祖父の送迎

少し離れた所に住んでいるということもあり、
中々会う機会がなかった母方の祖父。

部活やアルバイト、学生生活が忙しくなるにつれて
祖父と会うことが面倒臭くなっていました。

すごくわがままで、羞恥心もなく、
それらをもって母に迷惑をかけている。

嫌いまではいきませんが、
一緒にいると疲れると思っていた自分がいました。

加えて、
ただでさえ忙しい母に対して、
週に1回ほど実家に戻り、薬や家具などの整理をしたり
ご飯の買い出しをしたり、介護関連の手続きをしていたり。

いつも疲れている母を見ていると
あまり良い思いをしなかったと同時に、
身内としての使命であり自分もいつかそうなってしまうのかと
将来を見据えるように。

とはいえ、それ以前に今は自分のことで精一杯なので
重くは考えてはいませんが。

ですが祖父の送迎を続けることで思ったこととして、
家族は会えるときに会うべきなんだなと改めて思いました。

時間の恩返し


1年前、祖父と親戚とで岐阜へ旅行に。
その時点で既に足腰が悪く、段差のある場所や多く歩く必要のある場所は
厳しい状況でした。

そして現在、祖父は足腰はさらに悪化。
徒歩10分以内で到着する病院やスーパーまでも30分以上かけないと
着くことができない状態に。

親戚もとある病気を患い入院状態になっていました。

本当に1年前に旅行しておいて良かったなとつくづく思いました。

このようなこともあり、
今、毎週会っていることがどれだけ貴重な時間であるのか。

なぜ定期的に会わなかったのか。
なぜ祖父に会う時間を作ろうとしなかったのか。

後悔と現状への感謝に溢れています。

永遠の時間を放棄すること


「時間は有限である。」

大学生の頃によく大学の職員に言われていた言葉です。

今になって実感している私がいます。

大学生までの私はその瞬間ひとつひとつが楽しかったり、
寂しかったり、嬉しかったり、憤りを感じたり。

特に楽しいことや嬉しいことは
永遠にこの時間が続いてほしいなと思っていました。

しかし残酷なことにこの世には「永遠」という
時間を選択することはできません。

社会人になってから、会社や社会についてのたくさんのことを覚えて、
ただ目の前の顧客のために作業を進め、ひたむきに頑張ってきました。

ですが頑張れば頑張るほど楽しいという感情は消えていき
辛い・苦しい・怖いだけが残りました。

それらに耐えられなくなり休職するとになりましたが、
これは永遠を放棄したともいえると私は思います。

このことを逃げに聞こえる方もいるでしょう。

けれども自分が苦しくなるまで相手に笑顔を向けたり気を遣ったりする
必要は一切ないと思います。

嫌いな奴やムカつく相手に自分自身を欺いて良いように見せようとしても
得るものは何もありません。

残るのはこんな奴にいい顔を見せた自分への罪悪感と後悔です。

このようなこと、働いていたころの私には考えることが出来なかったです。
きっと休職中でなければ感じることが出来なかったことだと思います。

こう考えると、休職という期間は自分が今まで向き合ってこなかった
自分の弱さや不安、将来と向き合うとともに
親孝行ができる大切な時間であると感じました。

休職したことも少しは意味のあることなのではないかと思います。

最近の自分

本来9月末まで休職だったのですが、症状が不安定であることもあり
もうしばらく伸ばすことになりました。

元々の性格もあるので根本的に症状が治ることは非常に難しいのですが
社会人復帰に向けて小さな一歩を踏み出せているのかなと思います。

これまでもこれからも始めに書いたような
不安や恐怖は拭えないと思います。

しかし自分がこれからどのようになっていきたいのか、
そのためにどのように自分や他者と向き合い付き合っていくのか。
またこれからどのように自分の時間を使っていくのか。

伸ばしていただいた休職期間を有効活用し、考えていきたいと思います。

shimico

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