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六根清浄

「穢れ」「不浄」にまとわりつかれる。
気枯れ、汚れともいうかもしれない。

気枯れした者は他人も枯れさせる。
そんなときに、六根清浄の言葉を思い出す。

目に諸々の不浄を見て 心に諸々の不浄を見ず
耳に諸々の不浄を聞きて 心に諸々の不浄を聞かず
鼻に諸々の不浄を嗅ぎて 心に諸々の不浄を嗅がず
口に諸々の不浄を言いて 心に諸々の不浄を言わず
身に諸々の不浄を触れて 心に諸々の不浄を触れず
意に諸々の不浄を思いて 心に諸々の不浄を思わず


自分の中にぴしっと線を張り、守ることができるそんな教えです。

私は私だ。私と夫は違う人間。
私と家族も違う人間。
私は私の幸せと、私の人生、私の苦楽を歩めばいい。わかってはいるけれど。

愛する人や大切に思う人との心の線引きはとても難しい。
「心」への余裕がなく押し寄せてくるのは、相手も余裕がないからだ。
互いに「心」の線があれば、六根は清浄でいられるのだろうかと思えた。

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