大黒さんがきた!
数日前から私の気持ちがいっぱいになってしまい、夫もピンチに。ついに袋が弾け飛ぶのかというこのタイミング。
たくさん愚痴をこぼし、弱音を吐き出し、相手も自分も追い詰めてしまい…
そんなときに。え?いま?
このタイミングで顔が歪み始めた。
わーなんかきたー。
こうゆうときは大抵なんかきてるときだ。だいたい御眷属さんだったり、なんかよく分からないけど、神道系の神仏はこうなるきがする。
結局、特に大した神託はなく、ただ一言。
「喜べ」「歓べ」「慶べ」
よ ろ こ べ
それから、ちょっと記憶が曖昧なのだが、
間違いなくこれ大黒さんがきた。
本祭壇から、あれをもってこいこれをもってこいと指示が降りてくる。
「お主は我をどこにまつるのか?」
↳通訳
「ねえ、夫、大黒さんどこに納めるかきまってる?」
「うん。やるよー」
「じゃなくて、今、連れてけっていってる」
移動した先の部屋で、夫がこの場所で棚を作ってお祀りすつもりで…なんちゃらと言ってると、
「とりあえず、その、子どもの椅子でいいって。祭壇から榊持ってきて。それからお神酒と…」
この間ゲットした崇拝セット(神棚の神具セットです)あった!
これにお神酒いれて…
「夫、榊は水をしたらせて、水も新しくして。それからお米と塩と…」
「それから、勝手にごめんね、稲荷一対、龍神さん?いや弁天さんか。連れていきますね」
「よし!」
はーーー。
そうか、大黒さんの祭壇は黒なのか。
黒が良い。たまたま、子供用の椅子が黒だったが、段差のある二段にさっきのもろもろを配置してできあがった。
完全にこれは、神仏習合型だ。
夫のイメージしていたものと異なるのではないか…(不安)
しかし続ける。続けろと。
「夫、これ詠み上げて」
経典をわたしてしばらく礼拝する。
大黒天は清浄でないと起動しないようだ。
来てしまったからには。清浄を維持する。
それは、窓越しや壁越しであっても「清浄」であることがわかるように。
見た目ももちろんそうなのだが「清浄」というのは例えば神社の本殿のような空気感だ。
すっきりとして、キリッとして凛としている、あの雰囲気がおわかりだろうか。
五感を通して清浄であることがわかる。
大黒さんは、この清浄さが必須のようだ。
とりあえず、私は言われた通りに通訳して夫に伝えた。奏上しているあいだ、夫に加持のようなものをしている自分がいた。
徐々に夫の体から電気のようなビリビリしたものが纏われ、大黒さん、稲荷さん、弁天さんからの加持をする。
大丈夫だと言うたびに、彼らがポンと夫の肩を叩く。
私の夫は片付けだとかそういったものがてんで苦手なのだが、大黒さんは「清浄」が条件にある。
大黒さんの眷属はネズミだ。
諸説ありますが、大黒さんを後ろからみると「男根」の形をしているともいわれます。
ネズミが眷属である所以は、繁殖力の強さをイメージさせることから、「増える」「繁栄」ともいわれています。
「子」=「根」で子孫繁栄をイメージさせる。
「根」も男根も彷彿とさせる。
あるいは、六根の根であるかもしれない。
弁財天のながす水に、稲荷明神が種をまき、豊穣させる大黒天というイメージもあります。
種と水は循環のための大切な根でもあるのです。根が腐れば増えないし、むしろ腐敗が広がる。
ゆえに、清浄であることは大条件なのだ。
「夫、保てる?でももう来ちゃったからやるしかないけど」
「やる…!」
じゃあこれから善根功徳を積んでいこうと思う…のではなく、積め!って感じだ。
やるしかない。
そんなこんなで、今朝からお世話が始まりました。そして、なんと幸い今月は甲子だ。
甲子までに、祭壇をこしらえるのだ。
いつまでも子供用の椅子とはいかない。
祭壇はおそらく、自分たちでこさえることになるだろう。
なるべく黒い色素の木材を手に入れたい。
黒が良いそうなのだ。
夜中はちょっと騒がしく、愛犬が騒いでいたがまあ宴みたいなのをやっていたのだろう。
私には、てんで霊感というものはありません。脳みそでろーんと首の180度回転したおばけとか、首のない落ち武者とかそんなのはさっぱりわかりませんが、神仏はときどきおりていろいろなことを教えてくれます。
今回の配置も、正直まったく知らなかったのですが、この三福天をお祀りする寺社は廃仏毀釈以前から多々存在している。(あとから調べ)
夫に、「新興宗教みたいなへんな感じならごめん」といったけれど、これは神仏習合なのだそうだ。
これでいいのかあ!
すげー!大黒さんすげー!大黒リーダーシップすげー!
心のなかで歓喜しつつ。
私もお世話をしてきたいと思います。
本祭壇は、基本型にもどり、大黒さんはあれよあれよと見本を見せて、とりあえず急いでこさえないとならなくなりました。
神仏習合の仏像の見方なんかを次回記事にできたらと思います(^^)
神社仏閣での参拝がおもしろくなるかも?