私が長らく離れていた教育の世界に戻ろうと思ったのは、子を育てる親として学校に通わせるようになってから。自分が学生として過ごしていた小中学生の時代と今とではだいぶ学校のなかの様子が変わってしまったと感じたからです。
私自身、特に中学時代は今でいうところの「いじめ」にあっていたこともあり、あまりいい思い出はなかったのですが、その中でも多少の居場所、自分だけの空間を見つけて、なんとか毎日学校に通えたのではないかと思います。
今の学校は、その時に比べても全体的に縛りがきつくなってしまい、生徒だけでなく、先生も保護者も、みんなで様子伺いをお互いにしながら過ごしている感じがするのでなんとなくギスギスしていて居心地の悪い空間になってしまっているのではと感じています。
ただこれは、あくまでも自分の身の回りで起こったことであり、これが今の日本の学校全体に起こっているのかといえばそうとも言い切れないところが難しいところです。
「標準」という基準がものすごく狭い範囲で、この「標準」の以下の人だけでなく、以上の人も居心地が悪くなってしまっている感じがあります。そして、その「標準」が現場の校長先生の裁量に委ねられている部分もあるので、良くも悪しくも地域間格差、学校間格差の増大につながってしまっている感じもあります。
今回は、私が銀行を辞めてこの仕事をやろうと思った原点に立ち返ろうと思い、そのきっかけとなった2019年5月に国立で開催されたイベント、「みんないっしょが当たり前の社会へ」で紹介された、息子が木村泰子先生にあてたお手紙を公開させていただきたいと思います。
私自身は特に文面をチェックすることなく、イベントで読み上げられるその時までこの文章の中身は知りませんでした。彼自身、作文があまり得意ではないと言っていたし、恨みつらみみたいなものを書き記していたら終わりだな、と思っていたので、文を書くにあたって約束したことは、①人の悪口は書かない、②事実だけを書く、③事実に基づいて自分が感じたことだけを書く、ということだけでした。
この文章を木村先生が涙声で読み上げてくださったこと、今でも鮮明に覚えています。
そして、少なくとも私自身も彼の本当の意味での大変さをその時に感じましたし、改めてインクルーシブ教育について考えるようになりました。
今、息子は高校生となりました。
当時とはまた違った意味でうまくいかない高校生活を本人の中では送っているようではありますが、その中でも、少しずつ自分のやりたいことを見つけて、その先の未来につなげてくれればいいなと願っています。
そして、私自身は、息子以外にも同じ感情を抱いているお子様がいないことを願っています。
同じ空間に入れることが必ずしも良いことではありません。おそらく、適不適があります。ただ、何もしないまま大人の都合だけで決めるのではなく、だめだったら次の方法、その次の方法と変えていきながら、その子にあった学びのスタイル、学校、学校以外の空間をうまくみつけてあげられたらな、という思いから「共育コンシェルジュ」サービスを展開しています。
究極のインクルーシブって、自分の居心地の良い空間をみつけて、それぞれのよさを引き出しながら新たなものを創り上げることだと思います。