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傷つきやすい人と、そうでもない人

例えば、お友だちと近所のお好み屋さんに食事に行ったとします。
店員さんが注文を聞きに来てくださったんだけど、こちらが注文を言い終わるや言い終わらないやのうちに「以上ですね。お待ちください」とサッと去って行かれたんですね。
客観的にいえば、注文を聞き終わったから厨房に戻っていっただけなのかもしれないけれど、こちらはなんとなく心がチクチク痛んだりします。

お好み焼きを食べ終わり、その友だちと「じゃあ、またね」と声を掛け合って別れるときに、なんとなくその友だちの「じゃあ、またね」が、言うより先に、体の方があっちの方向へもう向いていたんですね。
普通に考えれば、そんなことはなかったかもしれないし、そうだったとしてもたまたまのタイミングだったのかもしれませんが、こちらはなんとなくですが、美味しかったし楽しかったお好み焼きの時間がもしかしたら無理矢理過ごさせてしまった時間だったのかななんて考えてしまい、心がシクシク痛んだりします。

上の2段落を読んで、「わかるわかる」という人もいれば、「まあ、そういうこともあるかもしれないけど、いちいちあんまり気にならない」という人もいると思います。

そう、傷つきやすい人と、そうでない人がいます。
傷つきやすい人は、誰かのちょっとした行動、しぐさや、誰かとのちょっとしたやりとりに悲しくなったり、つらくなったりしがちです。
そうでない人からすれば、「まあ、言われてみればそうなのかもしれないけれど、そんなに気にするほどでも……」といったところかもしれません。

ちょっとかたい言い方をすると、外界からの刺激に対する処理の仕方というものは人それぞれ違っているわけですが、傷つきやすい人が傷つきやすい理由の一つは、その外界からの刺激一つ一つに対していちいち深く深く処理しているところにありそうです。
この世界はとても広いものですが、同時にとても深いものでもあり、傷つきやすい人はその深い世界とのつながりを大切にして生きている人なのだと私は思います。

傷ついている人は傷を負うわけだから確かに痛いししんどいしつらいときもあるだろうけれど、でも考えてみれば、その人のその傷つきやすさは長所でもあるだろうし、得をしているところもあるのではないでしょうか。

悲しさとか寂しさ、そして心の傷というのは、その人なりの世界の深さ。
珈琲や映画や恋のように、あなたの人生がいつか深い味わいとなって生きられますように。

「傷つきやすい人と、そうでもない人」
ありがとうございました。

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