居場所があること
早いものでもう年末。
今年一年をゆっくり振り返りたいところではありますが、まだもう少しバタバタ忙しい日が続くという方もいらっしゃるかもしれません。
少しの時間、
どうぞお付き合いください。
できなくてもOK!
居場所探し
といえば若者の課題と思われそうですが
そうでもありません。
幼い子どもから高齢者まで
すべての人にとって大切なテーマです。
特に現代はそうかもしれません。
「お手伝いできて偉いね!」
「ピアノを上手に弾けるあなたは素晴らしい!」
この
「〇〇できるあなたはOK!」
に私たちは子どものころからけっこう慣れているものです。
生まれたばかりの赤ちゃんなら
例えば「ママ」「パパ」と言えたりしたときでなくても
ゲップをしたときでさえ
みんなに笑って受け入れられるものですが
成長と共に私たちは
「〇〇できるあなたはOK!」
を教えられるようになります。
社会的な生き物である私たちは
周りからの「OK」が欲しくて
「〇〇できる」をどんどん増やしていきます。
増やそうと努力します。
「〇〇できる」を増やしていくこと自体は
もちろん悪い話ではないのですが、
でもここでもう一つ。
実は私たちは「〇〇できる」だけでなく
<できなくてもOKな存在>なのだということ。
「ここにいていいんだ」
生まれたばかりの赤ちゃんはそうだったはず。
そこに存在してくれている
まずそれが何よりでした。
〇〇できる自分だけでなく
ただ存在を受けいれてもらえる
「自分は生きていていいんだ」
「生まれてきてよかったんだ」
「ここにいていいんだ」
存在そのものを受けいれてもらえるということは
そこが自分の居場所であると感じられるということ。
生きる希望
モノが豊かになって
便利になった現代の中で私たちは
人間どうしの触れ合いが薄れ、
存在そのものを受けいれてもらえるような居場所に飢えているといえるかもしれません。
〇〇できることも
〇〇できないことも含めて
「ここにいていいんだ」の居場所が
みんなあればいいなと思います。
エリクソンという心理学者は
「ここにいていいんだ」という
他者やこの世界への信頼感を持てるようになると人は
《希望》を獲得すると言いました。
希望というのは生きる希望。
私らしく、自分らしく生きる希望ですよね。
お読みいただきありがとうございました。
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