ただ人間として生きたいXジェンダー当事者
男か女かじゃなくて、ただ人間として生きていくことが、なぜこんなにも難しく、受け入れられないのだろうか?
※この記事はあくまで一個人の話です。「Xジェンダーの人がすべてこのようではない」ということを先に断っておきます。
どうも、縞尾ワヲです。最後の更新からしばらくご無沙汰しておりました。英検の二次試験(落ちた)やアルバイトの繁忙期が終わり、ようやく自分について書こうという気になったので、こういう記事を出すことにしました。
はじめに
今回の記事の内容は、単刀直入にいえば私のジェンダー、精神的な性の話です。私はXジェンダー。心の性を無性または中性と認識しています。これはかなり自分の生き方や追おうとしている道に関わる話なので、書いておきたいと思っていました。色々話すと長くなるのですが、4つのチャプターに分けて、話させてください。
また、再び前置きとして断っておきますが、これはあくまで「縞尾ワヲという一個人の場合」であり、Xジェンダーの人がすべて、私と似た考え方や生き方をしているわけではありません。しかし、LGBTQのなかでも特に知られていない部分の当事者として、「こういう人もいるんだな」というのを広める目的でこの記事を書きました。どうか、この記事が誰かの助けになることを願っています。
1:性自認の形成過程
さて、私の性自認は「無性」または「中性」と書きましたが、これはかなり小さい頃からの漠然とした認識が元です。私は女性の体で生まれ「女の子」として育てられましたが、いつまで経っても自分のことが「女の子である」という実感ができませんでした。さらに、その感覚は成長するにつれて「自分は女の子としては生きられない」という確信に変化していきました。
幼少期の話をすれば、特に好きだったのはポケモンやハム太郎といった動物系。ピンクやキラキラといったいわゆる「かわいいの」はあまり持ちたがらなかったそうです。おジャ魔女やセーラームーンも好きだったのですが「こうなりたい」という憧れというより、ただの「きれいなもの」として見ていた感じです。
そして小学校に上がると、段々と「なんか自分は他の女子と違うような気がする」という感覚が湧いてきました。友達には女の子が多かったですが、彼女らが成長するにつれてハム太郎やポケモンから離れていくのに、自分はそのまま。マニキュアやリップグロスも真似して持ってはみたものの、どうにも違和感はぬぐえないまま。そして周囲と反発するように、持っている服で「女の子っぽく見えない」組み合わせを研究したり、男の子の真似して高い所に登ってみたり、思えば「自分の立ち位置をアピールする」ために必死になり始めたのがこの頃だった気がします。
続いて中学校。中学校に上がると、男女で「制服」として着る服が分けられ、否が応でも見た目で「女の子」とカテゴライズされることになる。私はこれに、もの凄い嫌悪感を抱きました。それでありがちなことではありますが、一人称を「僕」や「俺」にしてみたり、乱暴な言葉遣いをしてみたり。すると、周囲は「女の子なんだから~」と、望まない生き方を強要してくる。「こうする方がいい」と望まない「可愛い」を押し付けてくる。そして反発すれば、理解のない同級生に「男なの? 女なの?」「女らしくしろ」といじめを受けました。この「俺っ子」時代は人生で一番辛かったです。それは卒業とともに終わりを迎えましたが、中学3年間は「自分は女の子じゃない」という認識を決定的にしました。
そして高校時代。周囲は恋愛が気になり始めるころです。そんな話を出されても困るので、女子のグループには入らないよう極力1人で過ごすようにしていました。男子のグループにも入れるわけではなかったですし。「馬鹿馬鹿しい、私たちは恋愛なんかしている場合じゃないんだ! リア充爆発しろ!」と念じながら勉強に没頭し、その時にアイデンティティの拠り所にしていたのが、ハードロックとヘヴィメタルです。女子でも男子でも好む人が周りにいないような音楽を好んで聴くことで、「自分は自分」という意識を必死で保っていました。でも幸い、周囲に比較的賢い人間が多かったのか、いじめや冷やかしはほぼ起こらず、無事に志望校に合格し、高校を卒業できました。
まとめると、私の性自認は小さい頃からの認識と、周囲への反発によって形成されたものだと考えられます。これは自論ですが、多くの人は成長と共に、どちらであるにせよ性自認を獲得するのでしょう。しかし、私はなぜか「男でも女でもない」状態のまま成長してしまったようです。
2:恋愛や性的欲求について
恋愛に関しては、私はほぼ無感覚であるといえます。性的指向も正直言って、「無」です。男性も女性も恋愛対象としてあまり興味が持てないし、性的欲求などありません。むしろ「気持ち悪い」と感じてしまいます。おそらく理由は、「結婚」だとか「子作り」だとかが「自分の生き方」と相容れないからです。さらに、性的マイノリティである自分のことをよく知っているからこそ、「相手にとって重荷になってしまう」という不安があります。男性と付き合えば「恋人にはなれても彼女や嫁にはなれない」「セックスはできない」で困りますし、女性と付き合って「女性として」求められても困る。
よく分からないし、色々な困難が目に見えているから面倒くさい。そんなわけで、恋愛はほぼ諦めています。でもXジェンダーの方でもお付き合いをされている方は勿論いらっしゃいますし、これは私個人の考えです。ただ私と、恋愛関連の文化が非常にミスマッチなだけなのです。
3:生きていてつらいこと
生きていてつらいことはたくさんありますが、やはり主に挙げられるのは「男女のカテゴライズ」や「恋愛や結婚について訊かれること」です。今、私は接客業をしていますが、バイト先を選ぶときには制服が男女で分けられていない所を、血眼で探しました。しかし、実際に働いてみれば「女性だから」という理由で、腹の前で手を重ねることを推奨される。これのせいで、お辞儀をする度に毎回モヤモヤします。私が悩んでいるのなんてこんな些細なことですが、接客業のマナーについてはもっとジェンダーで分けられていることがあるんではないでしょうか。性別関係なく「清潔でていねい」であれば十分だと思うのですが。この他にも、組織にいるとジェンダーに縛られることが多いと感じます。これもフリーランスの翻訳者を目指している理由の1つです。
また、恋愛や結婚について訊かれるのは、上記の理由からいつでも苦痛です。「女性である」という建前で生きるのもつらいので、こういう話をされたら「私はあまり興味がないですね。恋愛よりも自分の人生の目的を達成したいです」と正直に答え、相手によっては性自認の話もします。それでも、「またまた~」とか軽く流されてしまうことも多いです。そりゃ相手からすれば、私は「存在しない性」なのだろうから、理解にも苦しむでしょう。日本では、恋愛・結婚は未だにユニバーサルな話題だと思われていると感じます。中高生でさえ、フランクに「先生彼氏いるんですか!?」と訊いているのを何度見たか。はっきり言って、そんなに軽々しく出して良い話題じゃないと思います。プライベートのことですし、私みたいに訊かれて困る人も当然いますし。
これまでで一番辛かったのは、大学の英会話の授業で「理想の結婚」がディスカッションのテーマにされたときです。話し相手は伝統的な結婚を理想としている人で、自分のことを話したら「じゃあお前は、相手が結婚式を上げたいと言ったらどうするんだ」とか、「相手が子供が欲しいといったらセックスをするのか」と。耐え兼ねて性自認の話をすれば「じゃあ男が好きなの? 女が好きなの?」「お前は何なの?」と問い詰められ、気分が悪くなってトイレに逃げ込んだのを覚えています。
また、私は服装についても、悩むことが多いです。好きで体の性に近いか、または逆の服装をしている当事者の方もいらっしゃいますが、私は見た目もできるだけ中性的にするのが好きです。普段着はメンズ・レディースを問わず気に入ったものを着られるので、特に問題はないのですが、式典などが辛いです。成人式は出たくなかったですし、高校の同窓会もドレスなんか着ず、スーツで出たかったです。そして悩み過ぎて、大学の卒業式は、着付け中に体調を崩して欠席しました。親からは「男の子の真似事なんか止めて、年相応の恰好をしなさい」と言われ続けています。化粧もしたくないので常にすっぴんです。ある意味でマスク生活では助けられています。
理想の生活は、犬と猫を両方飼いながら、友人か妹とルームシェアをすること。仕事はフリーランスで翻訳をして、納期に間に合うよう仕事をしながら、余裕があるときに創作活動に打ち込みたい。人間の幸せは、別に恋愛や子孫を残すことだけじゃないんですから。丹精込めて練った言語表現が、自分の子供でもいいじゃないですか。そう思っています。
4:どう関わってほしいか
私は、他者に理解を強要はしません。ただ、性別は関係なく「1人の人間」として扱ってほしいだけです。シンプルな話をすれば、性別が関わるような話題や話し方を避けてもらえたら、それだけでだいぶ楽になるのです。それでも、「男と女」という概念に基づく文化、その中で生きてきた人々の認識を変えていくのは難しい、と日々感じます。
世の中まだまだ、「男のくせに」「男って…女って…」「女子はやっぱりこうだよね~!」「女性に大人気!」という文言や言葉を多く目にし、耳にします。物事を二元的に分けるのは、判断の上で楽です。しかし、そんな分け方をすると、必ず何かしら「例外」が出てきます。生物に関しては、それがどうしても性別基準になるのでしょうけど、たかが染色体1本の違いでこんなに悩む社会とは何でしょうか。なぜ同じ人間だという認識だけで生きられないのでしょうか。それは常に私が抱えている疑問です。
非常に長い(下手をすると過去最長ではないか?)記事になってしまいましたが、これが私と似たような悩みを抱える人、そうでなくても性的マイノリティ当事者である人、そして周囲の性的マイノリティ当事者への関わり方で困っている人の一助になれば、幸いです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。