阿蘇の茅葺きと、高森田楽
阿蘇に春を呼ぶ風物詩といえば、野焼きがあります。毎年2月の終わりから3月半ば頃にかけて草原に火を入れることで、美しい草原の景観を守りつづけてきたならわしです。冬枯れの草木があっという間に炎に包まれていく様は圧巻で、観光名物のひとつにもなっています。
阿蘇の茅葺職人との出会い
2014年の2月、野焼きを前に忙しさを増していた本田末保さんのもとを尋ねました。本田さんは高森町上色見地区に代々伝わる茅葺(かやぶ)きの技法を伝承する、数少ない職人です。「天気が良ければ毎日、らくだ山(阿蘇郡西原村)でカヤを刈ります。野焼きがはじまると全部焼けてしまうけん、今のうちに刈ってしまわにゃならんとです」と本田さん。「阿蘇のカヤじゃなからないかんっていうて、奈良や京都あたりからも注文が入るとですよ」と、奥様の澄子さんが言葉を添えてくれました。
ふるさとの伝統を絶やすまいと工房を立ち上げ、息子や孫とともに3代で茅葺きをつづけていた本田さんは当時88歳。カヤを刈る冬場以外は自身も屋根に登り、茅葺きや修繕作業を行うと聞いて驚いたのですが。95歳になった今年もすでに、1000束ほどのカヤを刈っておられるそうです。
「なんでん一代で終わっちゃダメ。後継者を作っとかんなら。だけん私は、習いに来た人にはなんでんかんでん教ゆっとです」と語った本田さん。お邪魔したときも全国各地から若者たちが本田さんのもとを訪れ、高森や阿蘇に滞在して地元の人と交流しながら、カヤ刈りを学んでいました。本田さんの口伝えは先人たちの暮らしの知恵を後世へとつなぐもの。カヤの刈り方はもちろん、阿蘇独特の「切り掛けダイコン」の作り方、竹細工など、暮らしの知恵を惜しみなく伝授しようとする姿勢に、胸があつくなりました。
伝統野菜つるのこいもと、高森田楽
ところで、このとき本田さんのもとを訪ねたのにはもうひとつの理由がありました。それが、高森田楽に欠かせない食材「つるのこいも」のお話です。
つるのこいもは、昔から高森町色見地区の多くの農家でつくられていた伝統野菜。痩せた土地でも育つ里芋の一種で、鶴の首に似た形をしていることがその名の由来といわれています(諸説あり)。火山灰土壌で米、麦の栽培が困難であった高森町色見地区では、「つるのこいも」を主食として生活していた時期もあるそうですが、流線型の小さな芋は収穫に手間がかかることもあり、次第につくる農家が減っていました。それでも本田さんのお宅では、「せめて自分のところで食べる分だけでも」と種芋をとっては栽培を続けていたそうです。妻の澄子さん(当時83歳)が見せてくれた手書きのメモには、畑の中に穴を掘って土と一緒にいれ、寝かせておく土中保存の方法なども記されていました。
「収量が少ないけんって追肥をすると、大きくやわらかくなりすぎてしまうとですよ。田楽にはかために塩茹でをしたものしか使えないし、やわらかいと田楽にしたときの味わいも劣る気がしてね」と言いながら、澄子さんが出してくれたのは塩茹でし、串刺しにして焼いたつるのこいも。特製の田楽味噌が添えてあります。
囲炉裏にさしてじっくり焼いても崩れ落ちない、しっかりとした肉質。丸ごと一個ほおばってみると、ねっとりとした独特の食感とうまみに、田楽味噌の甘さが後を引きます。本田さんご夫妻がつるのこいもを守り続けた理由がわかった気がしました。
「昭和30年頃だったか、村の呑兵衛連中が酒屋に集まってよく飲み会をしよったとよ。当時一番若い衆だった夫が、私が家で塩茹でしたつるのこいもを酒の肴に持って行ったら、“これはうまい!”って喜ばれてね。最初は男衆だけの集まりにそれぞれの家で煮た芋を持たせていたんだけど、その輪が少しずつ広がって、10軒ほどの夫婦で立ち上げたのが「田楽保存会」なんです」。澄子さんは当時の写真を見つめ、懐かしそうに話してくれました。
高森田楽保存会
https://dengaku-hozonkai.com/
郷土料理なのでその由来には諸説あるとは思いますが、そのどれもがひとりひとりの歴史であるとも思うのと、昨日開催された茅葺フォーラムの会場で95歳のお元気な本田さんをお見かけしたのがあまりにもうれしくて7年前のお話が蘇ってきたので、覚書にしたためました。あしからず。