禅語② 一行三昧(いちぎょうざんまい)
この禅語の意味は、まさに「ひとつのことに打ち込む」こと。今でも、「〜ざんまい」とつかいますね。私には仏教に対する専門的な知識はありませんが、仏教、とりわけ禅宗では目の前のこと、「今この瞬間」に集中することを大事にしているように見えます。坐禅もまた、今この瞬間でしている呼吸に集中します。
しかし、この「一行三昧」は坐禅以外にも当てはまります。禅宗は、料理や掃除など、日常の作業一つ一つが修行になります。そして、これらのことは、修行僧でなくても普通にやっていることですね。つまり、修行とは何も苦痛をともなうものではないのです。また、修行僧でなくても、日常何気なく、当たり前にやっていることに改めて目をむけて心を込める。それが修行のような効果を生むのではないか、と思います。もちろん、修行僧のほうがよっぽど厳しい環境に置かれていますが、(冬でも、暖房が一切ない部屋で布団一枚で寝るなど)私達一般人でも、そうして目の前の作業に集中することによって余計な妄想、心配事が消えて心がきれいになるのです。以前、テレビで修行僧たち(たしか永平寺だったと思う)が一行三昧に雑巾がけをする姿は気迫がありました。一見地味な作業でも、そこに心を集中させれば見ている人の気持ちを動かすんだな、と感じました。
私は、小さいときから複数の作業を同時にこなすのが苦手です。それをある時担任の先生から指摘されて落ち込んだこともありますが、この言葉は私を勇気づけてくれます。一つのことしかできない、それは不器用なことかもしれません。でも、どんな分野でも、人が注目してくれない分野でも、そこに心を込める。それはまさに自分の心をきれいにしてくれるのですから、心が折れかけたときこそ、この「一行三昧」という言葉を思い出しましょう。今は誰も見てくれなくても、その一行三昧になにかに取り組む姿に感動する人が少しずつ増えるはずです。