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『十八史略』光武帝の改心
前回は、「本当の人情とは?」と題して、古代中国・後漢の初代皇帝である光武帝と、彼の部下であった宋弘にまつわるエピソードを紹介しました。
そこに、光武帝の姉である湖陽公主という人物が登場しましたが、今回も彼女が関係してきます。
あるとき、後漢の都、洛陽でこの公主に仕えていた奴僕が殺人事件を起こしました。ところが、都の役人たちはこの犯人を捕まえられませんでした。
それはなぜかというと、この犯人は公主に仕えていることをいいことに、公主の屋敷に逃げ込んでしまったからです。
おそらく、全体のエピソードを考えてみるに、この奴僕と公主は仲がよかったのだろうと思います。
そうしたこともあって、役人たちも「皇帝の姉の息がかかった人物を捕まえることはできない」と判断したのだと思います。
また、公主も、犯人を差し出せばいいのにそれをしていないので、この奴僕をかばっていた可能性があります。
しかし、こうして皇帝一族の威によって犯罪が許されてしまうというのはおかしいですよね。こんなことが許されれば、都の治安が脅かされてしまいます。
この時も、こうした「治外法権」に立ち向かう人が現れます。それが、洛陽の長官・董宣(とうせん)です。
彼は、公主の権力によって守られている犯人とそれを捕まえられない役人にしびれを切らしたのか、自ら犯人を処罰することにしました。
するとある時、外出中の公主が乗る車に、その問題の奴僕が同乗しているではありませんか。この点をみても、公主と奴僕は仲が良かったのだろうと思います。
董宣は都の治安を守るという使命感に駆られたのでしょう、ここで大胆な行動に出ます。その奴僕を車から引きづり降ろすと、その場で殴り殺してしまったのです。
相手は殺人事件を起こした者ですから、処罰を受けて当然なのですが、現代の感覚からすると董宣も結構残酷だな、と思います。
しかし、やり方は残酷ではありましたが、犯罪者を野放しにしなかったわけですし、当時の社会情勢を考えると殺人を犯した者が残酷な刑に処されることは珍しくないでしょう。当時の感覚でみれば、董宣の行動は特段悪事というわけではありません。
ところが、ここから事態がおかしな方向にいきます。
犯人が殺されて、これで事件が解決したかと思いきや、公主が光武帝に対し董宣の行動はひどい、といったことを訴えます。ここで何を光武帝に対して訴えたのか、具体的な言葉はわかりませんが、公主は明らかに公私混同していると思います。自分に仕えていた(そして仲がよかったであろう)奴僕が処罰されたことが気にさわったのでしょう。
そして、公主によって董宣は悪人に仕立て上げられたのか、公主の話を聞いた光武帝は激怒し、なんと董宣を鞭で殺そうとしたのです。
殺人犯を処罰したという董宣の行動までもが、皇帝によって「犯罪」とみなされてしまったわけです。
さて、光武帝のもとに呼び出された董宣ですが、ここでもかなり大胆な行動に出ます。董宣は、
「奴の、人を殺すを縦(ほしいまま)にせば、何を以て天下を治めん。臣、捶(むち)を須(ま)たず。請う自殺せん」
(奴僕が殺人を犯すのを野放しにするというなら、どのようにして天下をよく治めることができるだろうか。(そんな世では自分の仕事はできないから)私は死刑を待たず、自分から死なせていただこう)
そう言うと、何とその場の柱に頭をたたきつけ、本当に死んでしまおうとしました。
これには皇帝も相当焦ったでしょう。すぐに側近に命じて自殺をやめさせます。そして、「董宣の死刑は無しにするから、そのかわり姉(公主)に頭を下げて謝りなさい」という流れになります。
多くの人は、この状況になれば、公主に頭を下げると思います。なにせ、最初は鞭で殺されるはずが、謝罪さえすればいいことになったのですから。
しかし、董宣という人物はまっすぐな人で、「演技」ということができない人だったのでしょう。それが、この後の場面によく表れています。
公主の前に連れてこられた董宣。公主に頭を下げるかと思いきや、
「両手もて地に拠り、終(つい)に肯んぜず」
つまり、両手を地面につけたが、結局頭を下げることをしなかった(できなかった)のです。
やはり董宣としては、犯罪者を処罰した自分がなぜ公主に謝罪しなければいけないのか、という疑問は強くあったでしょう。ここからも、自分の心にない行動はできないという董宣の意志の強さが伝わってきます。
そして、この董宣の一途な態度に光武帝のほうが感動しました。
この時、光武帝が頭を下げない(下げられない)董宣にかけた言葉が面白いです。
「強項令出でよ」、つまり「首が硬い長官、退出してよい」と言ったのです(笑)。この時点で、もう光武帝の董宣への怒りは消えていたと思います。その後、光武帝は董宣のその実直さをほめ、三十万の銭を与えたといいます。
一度は怒りに惑わされて董宣を処刑しようとした光武帝でしたが、その後の董宣の行動を見て、彼が生半可な気持ちで仕事をする者ではない、と見抜いたのでしょう。実際、董宣は他の役人が嫌がっていたことを、都の治安を守るために率先してしました。いざ光武帝の前に呼び出されたときも、少しも保身に走ることがありませんでした。
董宣の、私心なく行動する様も立派ですし、光武帝の人を見る力、自分の誤りに気づいてすぐに相手を許し、しかもほめることができる度量に感服します。