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儒学と僕9 民衆を大事に(節用愛人)
今回は、『論語』学而編第5章を取り上げます。ここは、政治への心構えを記した箇所です。
今回の言葉
子曰わく、千乗の国を道(おさ)むるには、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす、と。
(子曰、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。)
「千乗の国」とは、戦車千台を出せる土地のことを言い、諸侯の国を指します。つまりここでは、国を統治する方法を言っているのですね。ここの部分の意味は、
「千乗の国(=諸侯の国)を治めるには、自分の仕事に心を集中させ、ほかのものに心を乱さないようにする。そうして、民衆に対して信義を尽くす。政治にたずさわる人は民衆が支払った税金を用いて仕事をしているのだから、出費に節度をもたせ、浪費をしないようにする。民衆を使役するときは、しかるべき時期(主に農閑期を指す)に行うようにする」
となります。最後の民の使役については、今の時代にはあまり合っていないように思います。これは、たとえば戦争や土木工事などにおいて民衆を使役する際に、農繁期に使役すると民衆は農作業を中途半端なところで放棄しなければばらず、それでは十分な収穫は期待できません。そうなると、民衆たちは食糧を得るのに困ってしまう。だから民を使役するには時期を考えなければ政治の恩恵が民衆に伝わらなくなる、ということを意味しているのでしょう。
現代の日本では兵役や土木工事などで民衆が大規模に動員されるということはありませんが、政府や地方公共団体に対して負担をしなければならない点は変わりません。その最たるものが「税金」ではないでしょうか。
そしてこのことは、今回取り上げた箇所にある「用を節して人を愛す」という言葉につながります。この部分は、今回取り上げた中でも特に大事な言葉だと僕は思います。
朱子の注の中にも、「浪費すれば財産を損ない、財産を損なえば必ず民に損害をあたえるようになるものである」とありますが、まさにその通りでしょう。政府や地方公共団体は、基本的に税金をもとに政策を行っていくため、もしここで収入に見合わないことをやってしまうと赤字が増え、結果として増税を行わなければいけなくなります。そうなれば、民衆の暮らしを圧迫することになりますね。朱子の注がいっているのも、こうしたことだと思います。
そして、このような浪費が起きないように、「事を敬して信」、つまり自分が行っている仕事に集中し、民衆に信義を尽くそうとする、そうした態度が必要だということなのでしょう。この「信義を尽くす」ですが、これについて僕は、税金の使い道や政策についての情報を役所側がしっかりと公開する、そうして民衆に信頼される政府・地方公共団体になることがまず第一だと思います。そして、今自分がしている仕事と予算で、いかに民衆が安心して生活できるようにするのかを考えることです。それが、「人を愛す」の意味するところでもあります。
儒学というと、時代に合わない古い道徳をいっているとか、現代には役に立たないなどというイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、政治を行う上での心がまえなどは、現代にも活きるものが多いと思っています。『論語』や『孟子』では特に民衆に対する為政者の責任について多く述べられている印象を受けます。
為政者が民衆の福利について責任を持つ。これは古今東西変わることはありません。
日本では、公務員を目指す人が多いですよね。本人が志す場合もあれば、親が公務員を勧める場合もあります。そのとき勧める理由として、「地位が安定している」とか、「福利厚生がしっかりしている」というものなどが考えられます。こうしたことは間違いではないかもしれませんが、こうした理由だけで公務員になろうとすることには、僕は疑問を持っています。
公務員もそれ以外の仕事も必ず自分の仕事に責任を持つ必要がありますが、公務員はその度合いが大きいと思います。住民からの税金で仕事を行っていく以上、住民の暮らしについて直接的に責任を持つといえます。公務員の人、これから目指そうとする人はぜひこのことをよく理解し、その責任の大きさを理解したうえで目指してほしいです。
そのような、政治に携わる人の責任を理解してもらう上で、儒学はよい教材だと僕は思うのです。