ぬりかべ
「霊を見た」「UFOを見た」「オーラが見える」「オバケが出たから収録に遅刻した」なんていう話を聞くたびに、まあ最後のビートたけしのボケはともかくとして、いわゆる霊感のない私は、「そりゃまた随分と特殊な能力をお持ちなんですねぇ」と、少々意地の悪い気持ちを抱くことが多い。
オカルトに限らずあらゆる分野において、私は、非日常的な物事に対する好奇心が若干強い質なので、本当は羨ましいと思う気持ちも数滴ほど混ざっているのかもしれない。
いい歳をして我ながら少々情けない。
そういうわけで、私は不思議な体験には縁がない人間だと思ってこれまで生きてきたわけである。
しかし。
歳をとってくると、昔のことが唐突に思い出されることが増える。
それで判ったことがある。
私は、「体験したことがない」のではなく、「体験したことを忘れていただけ」だったのである。
今回は、そのうちのひとつについて、綴ることにする。
以後不定期にいろいろ綴るかもしれない。
私がまだ幼い頃の話である。
私たち一家は、当時、東京の六畳一間のアパートに住んでいた。
両親と、私。二つ年下の妹はもう生まれていたろうか。
古く狭いアパートだったが、そこでの暮らしは、楽しかったという記憶ばかりが断片的に残っている。両親の努力の賜であろう。
この話は、このアパートで起こった出来事である。
私の幼稚園入園前に家を建てるべく、このアパートを引き払って地元に引っ越したことから考えると、私がそれを見たのは、三歳頃のことだったのではないかと思う。
ある夜、私は、いつものように、布団で寝ていた。
私と妹が、両親に挟まれる、いわゆる「川の字」のような形である。
みな寝静まったその夜、私はふと目を覚ました。
そのとき、部屋の入り口に、奇妙なものを見た。
それは、白くて、四角くて、部屋の入り口と同じくらいの大きさだった。
顔も、手もなく、足だけがついていた。
動かず、音も立てず、ただ、入り口を塞ぐようにじっと突っ立っていた。
私がそのときまず感じたのは、「これ、何?」だった。
解らなかった。幼い私の知識にはないものだった。
次に感じたのは「これ、どうしてここにいるの?」だった。
解らなかった。外から入ってきたような音はしなかった。
ここに至ってようやく「これ、おばけ?」と感じた。
ここにいてはいけないもの。
見えるはずがないもの。
そう感じて初めて、じわりと混乱と恐怖が生じ始めた。
――見えていると、あれに、気づかれたくない。
何故か唐突にそう感じた私は、静かに、しかしできるだけ急いで布団にもぐり目をつぶった。
数刻の後、私は恐る恐る目を開けて、そっと部屋の入り口の方をみた。
白くて四角い板のようなものが、さっきと同じようにそのまま突っ立っていた。
――まだいる。
私は、ぎゅっと目をつぶった。そのまま、眠りに落ちた。
翌朝、それはどこにもいなかった。
いつもの、明るい朝だった。
朝食のテーブルで、私は、父に、自分が見たものの話をした。
昨日の夜ね、白くて大きい四角いのが、そこにいたんだよ!
私は懸命に訴えた。語りながら昨夜の恐怖が蘇った。
幼いなりに、必死だった。
父は笑いながら言った。
「そんなものはいないよ」
父は、オカルトを信じない人だった。
いくら私が、いたんだ、見たんだと訴えても、父はそれを聞き流し、「そんなものはいないから、大丈夫だ」とだけ言い続けた。
いたのに。見たのに。どうして「いない」って言うの?
親に対して、釈然としない、不満に近い思いを、初めて明確に感じたのは、この時だったと思う。
しかし、私を見る父の顔は明るく優しかった。
――お父さんは、本当に「いない」と思ってるんだ。
それだけが、理解できた。
だから、それきり、訴えるのをやめた。
それ以降、白くて四角いものは、現れなかった。
後に、『ゲゲゲの鬼太郎』というテレビアニメに、私があの夜見たものとよく似たものが出てきた。
私が見たものは、『ぬりかべ』という名前だったんだと、この時知った。
「寝ぼけてたんだろ」と言われたら、そうかもねとしか言えない。
ドラマティックなストーリーもオチもない。
だから、折々でごく親しかった数人にしか話していない。あの朝傍で聞いていたはずの母もおそらく忘れてしまっているだろう。私自身、長い間忘れてしまっていたように。
しかし、オチなど全くないというところに、多少のリアリティを感じていただければ、幸いである。
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