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禅箴 規則に従い真っ直ぐに守るのは、縄もないのに自分を縛るようなもの。 何にも縛られず好き勝手に振る舞うのは、外道や悪魔と変わりがない。 心を静かに澄ませているだけでは、何も照らすことのない邪禅となる。 心に思うまま傍若無人に振る舞えば、深い穴に落ちてしまう。 明晰かつ聡明であろうとすれば、それが枷となり、自らの首を絞める。 善や悪を考えることが、天国や地獄に繋がる。 仏や法にこだわれば、二重の鉄囲山に囲まれることになる。 何かの念が起っても、そこから
公案現代語訳 本則 石霜和尚は言った。 「百尺の竿の先から、いかに歩を進めるか」 また、古徳は言った。 「百尺の竿の先に座る人は、悟りに至ったとはいえ、いまだ真の悟りには至らない。百尺の竿の先から、わずかに歩を進めることができれば、十方世界がその身に現れるだろう」 評唱 歩を進め、身を翻すことが出来れば、世界のすべてが素晴らしく尊く思えるようになるだろう。 とはいえ、言ってみろ。 百尺の竿の先から、どう歩を進める? 頌 頂の門に目が眩んでつぶれ 定盤星を見
公案現代語訳 本則 迦葉に、阿難が問うた。 「お釈迦様は、金の袈裟の他にも、伝えましたよね。 何を伝えたんですか」 迦葉は呼んだ。「阿難」 阿難は応じた。 迦葉は言った。 「門の前の刹竿を倒しておいてくれ」 評唱 もしこれに対して、一語をズバリと言えれば、霊山での説法会がいまだ終わっていないことが見てとれるだろう。 もしそうできなければ、毘婆尸仏が早々に心に留めたことの素晴らしさを、今に至っても得られないことになる。 頌 問いにいかにズバリと答えるか