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無門関・現代語訳

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無門関の原文を現代語に訳したものです。 具体的な考察分は入れてありません。
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#考察

禅箴 現代語訳と考察

禅箴  規則に従い真っ直ぐに守るのは、縄もないのに自分を縛るようなもの。  何にも縛られず好き勝手に振る舞うのは、外道や悪魔と変わりがない。  心を静かに澄ませているだけでは、何も照らすことのない邪禅となる。  心に思うまま傍若無人に振る舞えば、深い穴に落ちてしまう。  明晰かつ聡明であろうとすれば、それが枷となり、自らの首を絞める。  善や悪を考えることが、天国や地獄に繋がる。  仏や法にこだわれば、二重の鉄囲山に囲まれることになる。  何かの念が起っても、そこから

無門関第四十六則「竿頭進歩」現代語訳

公案現代語訳 本則  石霜和尚は言った。 「百尺の竿の先から、いかに歩を進めるか」  また、古徳は言った。 「百尺の竿の先に座る人は、悟りに至ったとはいえ、いまだ真の悟りには至らない。百尺の竿の先から、わずかに歩を進めることができれば、十方世界がその身に現れるだろう」 評唱  歩を進め、身を翻すことが出来れば、世界のすべてが素晴らしく尊く思えるようになるだろう。  とはいえ、言ってみろ。  百尺の竿の先から、どう歩を進める? 頌  頂の門に目が眩んでつぶれ  定盤星を見

無門関第二十二則「迦葉刹竿」現代語訳

公案現代語訳 本則  迦葉に、阿難が問うた。 「お釈迦様は、金の袈裟の他にも、伝えましたよね。  何を伝えたんですか」  迦葉は呼んだ。「阿難」  阿難は応じた。  迦葉は言った。 「門の前の刹竿を倒しておいてくれ」 評唱  もしこれに対して、一語をズバリと言えれば、霊山での説法会がいまだ終わっていないことが見てとれるだろう。  もしそうできなければ、毘婆尸仏が早々に心に留めたことの素晴らしさを、今に至っても得られないことになる。 頌  問いにいかにズバリと答えるか