大乗こそ仏説
よく「法華経なんかの大乗経典は後世の人の創作だ」とか言う人がいるが、この人は大罪を免れない。
なぜなら、大乗経の存在を否定することは、世の菩薩の存在を否定し、衆生の仏性を否定し、一切衆生が仏に成る道を断絶させてしまうことになるからだ。
もし阿含等の小乗経のみが真実と言うなら、一切衆生は永遠に仏に成れないということになる。というのも、小乗教の修行は阿羅漢止まりで、成仏の道は説かれていないからだ。
それに、大乗を誹謗すれば大乗の五逆罪に当たる。この大乗経典を誹謗するのは恐ろしい罪であることを、仏はおろか、古の賢聖も明言されている。
この通り、大乗非仏説論は無間地獄に堕ちるべき僻見である。
これは肝に銘じておかなければならない。
仏教は人の心の病を治す薬でもある。その薬を素直に飲ませればいいものを、何かしら言い掛かりをつけて飲ませない人達がいる。あるいは、薬に毒を混ぜて飲ませようとする人もいる。
この譬えの意味は、昔から伝統ある経典の言葉を素直に信じればよいものを、信憑性や出所を改めて問いただして、異説を唱えて信心を失わせ、読誦を停止させたりすることをいう。後者は言葉を変えて読ませたり、時代遅れで日本人には不必要な原始(小乗)仏教を教え込んだりすることを意味する。
日本人には大乗が最適であるのに、それを今になって否定し、時代遅れで役立たずの小乗仏教を持ち込む。
「これは“上座部”仏教ですよ」「これは”原始”仏教ですよ」という美名をあしらえて人々に勧める……。
釈迦の本意は大乗である。小乗の教えは、外道の常楽我浄の理を破らんがための入門の教えに留まる。それを釈迦の本意と思い込み、本物の教えである大乗を否定するのは、上下顛倒の錯誤も甚だしい。
誹謗大乗の罪を全く怖れず、後世の苦報も顧みず、日本人の成仏の道を破壊する仏教学者は国賊である。その罪を悔やまない者は万死に値する。
私は忠告する。仏教を学ぶ諸君、いかなる理由があろうとも、学者の広める大乗非仏説論に騙されるな。後で地獄に堕ちて後悔しても遅いぞ。もし学者に同調して非仏説を主張し続けるなら、自分だけでなく、他の大乗を学ぼうとする者の心も挫き、眼を眩ませることになる。
ただ、「大乗は仏説」と信じるだけでも功徳を生むのに、その初心までも奪う。酷すぎるなぁ。一切衆生の仏道の門を閉じて入らせないようにする悪魔の僕だ。
非仏説が流行っているからといって、その風潮が正しいとは限らない。
ただ、「法(大乗経典)に依って人(仏教学者)に依らざれ」とあるように、多勢に呑まれず、永遠に変わることのない大乗の法を信じて、極悪の大乗非仏説論を今すぐ捨て去るんだ!