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日々子育て 中秋の名月

2022年9月10日、昨夜は中秋の名月。

昨夜は中秋の名月を楽しまれたでしょうか?
もし見られなかった方がいらっしゃいましたら、一緒に楽しんでくださると嬉しいです。

昨夜のお月様
雲間から

こちらは雲がちらちらと出ていましたが、とても明るいキレイなお月様が見れました!息子と夫と一緒にお団子を食べて、お月見を楽しみました。

9月9日に予行お月見を企んでいた私と息子。
しかし、厚い雲に覆われてお月様の姿は見られませんでした。
「明日は、ばーば見れるかな?」
亡くなった母がお月様になって見ていてくれている、と息子は信じています。
「明日は晴れるといいね!」

9月10日。朝から快晴!きっとお月様がみれる!息子と喜びました。
夕方6時をすぎて、そろそろお月様が見えてもよいころ。
しかし建物が邪魔になって、なかなか姿を見せないお月様。
「もう出てるじゃん!そこに!」
まだ見えない、まだ見えない、息子と私がお月様の姿を待ちわびていた所、夫の声が響きます。
「ママ!出てるよ!こっち!」
「えー?見えないよー」
「あー!・・・もう少し後ろに下がって、背伸びをしたら見えるよ」
「お!!!本当だ!出てる!」
光輝くまん丸お月様が見えました。
夫は身長が高いのです。
私、ましてや息子の身長では、背伸びしないとまだ見ることができませんでした。
「キレイだねー。今日はキレイなお月様が見れたね。ばーばに会えたね」

少し前、息子とお散歩をしていた時のこと。
すぐ近くに橋があるのに、息子は「橋まだ???」と聞いてきます。
「そこだよ、すぐそこに見えてるよ」
「見えないよー」
息子の目線になってみると、川沿いの柵が邪魔をして橋が全く見えなかったのです。
「本当だね!息子からは見えなかったね!気がつかなくて、ごめんね」
それぞれが見えている世界は、物理的にも違って見えている。
本当に見えていないってことがある。
ましてや大人と子供、必ず、違った世界を見ている。
虫や石や小さなものたち、子供には見えやすいものがあって、大人には見えにくい世界がある。
今回の月もそう。自分が見えているものが全てではない。
子供の大人のそれぞれの目線で考えると、もしかしたら悲しい事故も減るのかもしれない、そんなことを思います。

月光が雲に反射して七色の虹のように輝いて、雲があってもそれはそれで美しい光景です。

雲を撮影するには月が明るくなりすぎて、私の技術では雲と月を一緒に撮影することが難しいです。
なので、雲だけの写真、月だけの写真を別々に撮影して、二つの写真を合成しています。こうすると、昨夜見た肉眼に近い月空のように思います。

お団子をお供えして、お祈りしました。
「算数ができるようになりますように」算数が苦手な息子。
「え?息子、五穀豊穣とか食べ物に感謝とか、そういうことをお月様に祈るんじゃないの?それなら、俺も趣味が上手くなりますように」と夫。
「ママは?」
「無病息災、皆が平和で元気でいられますように。おいしい食べ物をありがとうございます」
「え、俺、自分のことだけだった」夫と息子と笑った。
虫の声が聴こえてきて、心地よい風が吹いてきて、空には見守ってくれているかのような、大きな美しいお月様。
家族で素敵な時間を過ごすことができました。
息子もこの日のことを、覚えていてくれると嬉しい。
「もう、お団子食べてもいい?」
月より団子な息子でした。

素敵な月の言葉がたくさんあります。

そらの名前 写真・文 林 完次 光琳社出版
1.月ノ章 より引用します。

待宵まちよい
中秋の名月の前夜、またはその夜の月のことをいいます。月見が花見のように庶民の楽しみであった昔、名月の夜が楽しみで待たれました。小望月こもちつき
江戸川や月待宵の芒船すすきぶね (小林一茶)
十五夜じゅうごや
陰暦の毎月十五日の夜のことですが、とくに八月十五日の夜をさすこともあります。古くから観月の好時節とされています。
十五夜をさす言葉に三五さんごがあり、とくに陰暦八月十五日の夜を三五夜さんごや、その月を三五さんごつきといいます。
十五夜の雲に遊びてかぎりなし (後藤夜半やはん
芋も子を産めば三五の月夜かな (山本西武さいむ
ぼう
望月のくまなきを千里の外まで眺めたるよりも、暁ちかくなりて待ち出でたるが、いと心ぶかう、青みたるようにて、ふかき山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれわたる村雲がくれのほど、また哀れなり (吉田兼好/徒然草)
満月とか望月もちづきともいい、地球が太陽と月の間にあって、直線に並んだときのことをいいます。
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ (西行・続古今集)
望の月雨を尽くして雲去りし (渡辺水巴すいは
木がくれて望のいさよふけしきかな (阿波野青畝あわのせいほ

宙ノ名前 月ノ章

中秋ちゅうしゅう
陰暦八月十五日のこと。秋(陰暦七、八、九月)の最中にあたるところから、中秋といいます。古くから月見の時節とされており、仲秋とも書きます。
月見つきみ
月をながめる鑑賞することで、観月かんげつともいいます。
とくに陰暦八月十五日と、九月十三日の月を観ることをいい、すすきの穂、団子、稲の初穂、芋、栗、豆などを供えるところもあります。
雲折々人を休むる月見哉 (松尾芭蕉)
浮世の月見過しにけり末二年 (井原西鶴)
月見する水より音の尖けり (桜井吏登りとう
後の月のちのつき
陰暦八月十五日(十五日夜)の月に対して、九月十三日の月を後の月といいます。また、八月十五日の芋名月いもめいげつに対して、九月十三日を豆名月まめめいげつといって月見の行事を行います。
なお、月の名残つきのなごりといえば後の月、のち月見つきみといえば、中秋の月見に対して九月十三日の月見をさします。
橋桁のしのぶは月の名残かな (松尾芭蕉)

宙ノ名前 月ノ章

十月にもお月見を楽しめますね。
今回見れなかった方も、来月は楽しいお月見ができますように!

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