ツッチーちゃん
息子には、お気に入りの猫のぬいぐるみ ツッチーちゃん がいる。
毎日ずっと一緒で、毎晩一緒に寝ている。お出かけする時も、リュックに入れて一緒に連れて行く。連れて行かない時は「ツッチーちゃん、ひとりで おるすばん してるって」と息子が語る。息子の迫真のひとり芝居で、猫パンチを繰り返し、甘噛みするかのようにじゃれ合って、叩き合って喧嘩して、本当の猫のように遊んでいたりする。毎日毎日、ずっと一緒。息子は、ツッチーちゃんが大好きだ。
ツッチーちゃん。ちょっと変わった名前には理由がある。ツッチーちゃんには、手足がなく、あたかもツチノコのような風貌。ツチノコにもじったツチネコと言う商品なのだ。「ツッチー、ツッチー」と呼んでいて、ある時「ツッチーは女の子だからなぁ」と息子が言い出した。女の子設定が加わり、ツッチーちゃんになった。
ネコメンタリー 猫も、杓子も。もの書く人のかたわらには いつも猫がいた 小説家や漫画家と暮らす猫を撮影したドキュメンタリー番組があります。
私も息子も、ネコメンタリーが大のお気に入りで、録画して何度も何度も繰り返し見ている。美しい映像、自由奔放な猫と飼い主さん達のやり取りに癒されて、毎回ハッとする言葉に出会える。その番組の中で、漫画家のヤマザキマリさんが、ツチノコと猫について、同じような事をおっしゃっていた。
番組の中の言葉を私なりに文字起こして、一部引用させていただきます。ヤマザキマリさんの意図とは違う表現になっているかもしれません。
小さくて大きなわたしの相棒 ヤマザキマリ
日本には、ツチノコという妖獣の伝説がある。
しかし、ここ最近になってもしかすると、あの妖獣の正体はトラ柄の猫だったんじゃないかと、我が家の猫を見ていて思うようになった。
過度の臆病者で、滅多に人前に姿を現すことはない。来客の気配があると、たちまち、ほふくの姿勢で、にょろにょろと身をくねらせながら、クローゼットの洋服のジャングルの中へ身を隠してしまう。その姿は、ツチノコそのものである。
父は、山菜やキノコ採り、山歩きが趣味だった。そのせいかと思うのだが「幻のツチノコを探せ!」そんな本が家にあった。私が小さい頃「あなたの知らない世界」という心霊番組や「川口浩探検隊」の番組が流行っていた。懸賞金がかけられて、ちょうど、ツチノコもブームだったのかも知れない。秘境探索、ネッシーや雪男などの未確認生物、得体の知れぬ物の話が大好きだった。中でもツチノコは、言葉の響きも気に入っていたし、とても興味があった。なぜなら、ネッシーや雪男よりも身近で、もしかしたら、日本のどこかで出会えるかもしれない、そんな気がしていたから。
ずんぐりとした短い蛇のような姿、飛ぶらしい。確かに、手足を隠していたら、猫はツチノコに見えるのかもしれない。ジャンプもする。
だから、ツチネコとして商品化されている事を、息子がやたらと気に入っている事を、何だかツチノコに出会えたような気がして、とても嬉しく思った。
ツッチーちゃんとの出会いは、母が亡くなって初七日の法要を済ませた後だった。私と息子は、お土産物や雑貨を売っているお店で時間を潰して、姉を待っていた。
息子が大事そうに、おメメのくりっとした可愛らしい三毛猫のようなぬいぐるみを胸にぎゅっと抱えている。「ママ、ほしい。ふかふかして、かわいい」気に入ったらしく、抱えて離そうとしなかった。
母が急変してから今日まで、バタバタとして、息子には、たくさんの無理をさせてきた。はじめて、私がいない日を何日も過ごした。夜は私が居ないとねれなかったのに。お通夜やお葬式で会った時、相手をしてあげられなくても、駄々をこねたり、泣いたりしなかった。ずっと我慢してくれていた。
すぐに飽きるかもしれないけれど、息子の気安めや心の支えになるかもしれない。「にゃーにゃー」「そうだにゃー」と猫語を話したり、猫の写真集を見て喜んだり、ネコメンタリーを何度も見たり、いつからか、猫が大好きになっていた。家では本物の猫を飼う事はできないから、せめて猫のぬいぐるみを買ってあげたいと思った。息子はとてもとても喜んでいた。お店の方も「こんなに喜んでくれるなら、買ってもらえて嬉しいね」と言ってくれた。
飽きるかな?と思っていたが、いまだにずっと一緒にいる。雑に扱ったり、パンチを食らわす事もあるが、大切にしている。一番のお気に入り、一番長続きしているオモチャである。コスパ良過ぎ、買って良かったな、と本当に思う。あまりにも一緒にいるから、ツヤツヤスベスベだった毛並みは、ゴワゴワモコモコになってしまった。壊れないように、気をつけて、手洗いしてみたら、案外丈夫だったが、残念ながら、ツヤツヤスベスベの毛並みには戻らなかった。
「おとなになっても、ゴワゴワでもツッチーちゃんは、すてないよ」そんな事を息子はいっている。私にも、そんな思い出がある。私は、くまのぬいぐるみだったけど。
くまごろう
母は、洋裁が得意で、洋服や小物など色々と作ってくれた。中でも、くまごろう という狸のような顔をした、くまのぬいぐるみ型をした、枕が大好きだった。フランネルのような、ふかっと柔らかい生地、頭と胴体の二頭身、胴体から手足が出ていた。四角い胴体のお腹を枕にして、頭を乗せて寝ていた。
ある日、前触れもなく、くまごろうが捨てられた。「汚くなったから捨てたよ」母はいった。私は、悲しくて泣き叫んだ。「なんで、捨てちゃったの!」何日も何日も泣いていた。泣き止まない私を見て、2代目くまごろうを母は、作ってくれた。
しかし、2代目の顔が好きではなく、がっかりして、初代くまごろうを忘れられなかった。「前の、くまごろうが良かった」母を、しばらく攻め立てた。ずっとずっと大事で大好きに思っていることを、母は気がついていなかった。母が思っているよりも何倍も、何倍も、くまごろうが大好きだった事を。
くまごろうの事は、今でも、思い出す。酷く傷ついて、悲しかった。そのせいでか、ものを捨てられない。お気に入りの物は、いつまでたっても大事で、トキメキしまくりである。
こんな事があったから、息子のツッチーちゃんは、たとえ壊れてボロボロになってしまったとしても、決して息子の許可なしに捨てたりはしない、大事に大事にしようと思う。
今では、ツッチーちゃんは、大事な大事な息子の猫仲間であり、ライバルであり、友人であり、妹であり、家族であり、心の支えになっていると思うから。
息子の大好きを見つけられて良かった。
母が出会わせてくれたようにも思う。息子のところに来てくれて、出会ってくれてありがとう!ツッチーちゃん。
この記事が参加している募集
ここまで、貴重なお時間を!ありがとうございます。あなたが、読んで下さる事が、奇跡のように思います。くだらない話ばかりですが、笑って楽しんでくれると嬉しいです。また、来て下さいね!