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ありがとうございます
noteでは、たくさんの出会い、気づけたこともたくさんあって、感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さんの日常が綴られている記事を読ませていただくと、似たような体験に「あ!コレ知っている」ずっと忘れ去られていた、仕舞い込まれていた記憶が呼び覚まされることがあります。
まるで、過去の自分に遭遇したようで、不思議な気持ちになります。そして、鮮やかに蘇ってくる記憶は、懐かしさや楽しさ、時には辛さや悲しさも連れてきます。
小説では味わえない、等身大の自分に近い方々の生身のお話による 記憶の再生 これはnoteならではの体験ではないだろうか、と思っています。
宮島ひできさんの 筆記具とわたし(その4)の記事の見出しの写真を見た時に、「あ!コレ知っている!!!この万年筆!」ちょっと珍しい格子柄、パーカーの文字にドキッとしました。
宮島さんのお母さんの形見だったそうですが、私の父の形見でもありました。
そして、ここ何年も見かけた記憶がありませんでした。「どこにしまったのか?確かこの辺に・・・あった!」探しました。
すっかりと忘れてしまっていた記憶が蘇ります。
私がまだ小学生の頃、父が亡くなりました。母は気に入って、このパーカーの万年筆を大事に使っていました。「外国製でね、お父さんの友達と就職する時にお揃いで買ったんだって言ってたよ」「そうなんだ、カッコイイね。私も使ってみたい」外国製の万年筆という、小学生にはとても手が出せないような大人な筆記用具に、私は興味津々でした。
こうして私は、母から借りたまま、まんまと父の万年筆を自分のものにしたのでした。
「万年筆ってこんな書き心地なんだ」大人になった気分で、何か大事なものを書く時にだけ、こっそりと使っていました。ペン先が潰れてきたり、インクがなくなったり、ボールペンの方が書きやすかったり、ちょっと不便なところがあって、壊れるのも困るし、と大事にしまってすっかりと忘れ去られていました。
昨年、母が亡くなって、父も同じお墓に入っているというのに!私はいつも母のことばかり考えていました。父は忘れられているようで、寂しく思っていたのかもしれません。
万年筆を見て、そんなことを思いました。
カートリッジインクを入れてもなかなか書き出せなかったのですが、ペン先を少しお湯につけたところ、見事に復活!書くことができました。何十年も前のものが、今ここに。
万年筆を見る度に父を思い出して、父が帰ってきたようで嬉しく思います。
もしかしたら、宮島さんの万年筆とは少し型が違うのかもしれませんが、宮島さんの記事と出会って、父の万年筆を思い出すきっかけになり、嬉しく思ってコメントした際には懇切丁寧なコメントのお返事を頂き、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
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お恥ずかしながら、この万年筆による直筆です。
(長谷川潾二郎 画伯の 猫 という一筆箋です。来年は寅年、トラ猫ですが。)
忘れている大事なことを思い出させてくれたり、共感して感動して、記憶を再生してくれたり、構築してくれたりする。
noteはそんな、素敵な場所です。
また、素敵な 記憶の再生と構築 に出会いたいと思います!
2021年、まとまりの無い記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
皆様も良いお年をお迎えください。
宮島ひできさん、記事を拝借させていただきました。
いつも為になる素敵な言葉に出会えます。
いつもありがとうございます。
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