『ゲームの王国』を読んだら、頭の中がぐちゃぐちゃになった
最高だった。めちゃくちゃ良かった。
ジョージ・オーウェルに伊坂幸太郎が出てきて、強大な相手に三体を用いて電波教師が挑む。
そんな話だった。
小川哲『ゲームの王国』
舞台はカンボジア。
一人の女の子と一人の男の子が出会う。
二人はゲームをする。
どちらも超人的に強くて、同じくらいの子では歯が立たない。
どちらも強かった。最後には女の子が勝った。勝ったのは女の子だったけど、どちらもこれまでの人生で一度も味わったことのないくらい楽しんだ。
女の子には、人の嘘を見抜くという力があった。
他にも、土と会話できるやつがいれば、輪ゴムで人の死がわかるやつもいた。
突然、伊坂幸太郎が出てきた。
この物語には、カンボジア史の重大なエピソードがいくつか登場する。
クメール・ルージュの台頭、ポル・ポト政権時代。
地獄のような日々から、やっと解放される。
そう思っていたら、更なる地獄が国民を待っていた。
知識を持つ者を集め、処刑する。
互いに監視し合い、密告させ合う。
あのときゲームで女の子に負けたムイタックは、突如として、『1984年』の世界に迷いこんだようだった。
くそみたいな日常に、今にも押し潰されそうになっている、一人のか弱い少年だった。
誰かがつくったルールに、縛られていた。
もし連中が罫紙をよこしたら、逆向きに書きなさい
そんな一文が、頭に浮かんだ。
それから時がたち、二人は成長して大人になった。
女の子のソリヤは為政者になろうとしていた。
男の子のムイタックは、教授になっていた。
ムイタックは、知り合いとゲームを製作した。
プレイヤーの脳の伝達回路を読み取って、「楽しい」という感情の度合いによって魔法を生み出すゲーム。
プレイヤーは「楽しい」と感じるために、記憶を探る。これまでの人生で一番楽しかったことを思い出して、魔法を生み出す。
しばらくして、ムイタックは気がつく。
ゲームのプレイヤーが、ゲームに勝利するために、楽しいと強く感じるために、偽の記憶を思い出していることを。記憶を改編していることを。
これを応用すると、プレイヤーに偽の記憶を植え付けることができることを。
後半はSF色が強まってくる。
科学テクノロジーを用いたゲーム。ゲームの持つ意味。
SFとゲームといえば、昨年爆発的人気となったあの作品が思い浮かぶ。
異世界人のVRゲーム。
フォークト=カンプフ検査が出てきてもおかしくはない世界だった。
「何かを変えようと思ったら」
ムイタックは言う。
「二つの方法がある。ひとつは、偉くなって内部から変える方法。もうひとつは、一から満足いくものを自分で作る方法。」と。
ソリヤは為政者になろうとしていた。カンボジアの内部から、カンボジアを変えるために。
ムイタックはゲームをつくった。ゲームを通して、カンボジアのルールを変えるために。
二人の天才がぶつかり合う。
小さい頃、一度はソリヤが勝った。大人になったいま、勝つのは果たして。
物語が描くのは、ゲームについて、そしてルールについて。
ゲームは勝つことだけを目的としてやるもの、だから楽しい。
ルールはゲームの最適解を制限するもの、一番簡単な道を制限することで、面白さが出てくる。
間違いないと思った。特にルールについてはその通りだと思った。
少年ムイタックに教えられた。
ルールは面白くするためにあるんであって、誰かを困らせるためにあるんじゃない。
ルールなんか守ってて、社会で通用すると思うなよ。
ルールってのはお前等のためじゃなく、"作ったヤツ"のためにある。
そんな声が聞こえてきた。
読む人によって、感じる気持ち、思い出すこと、面白いと思うか意味がわからないと思うか、全然違うと思う。
レビューを見ると、賛否両論たくさんある。
賛成も反対も色んな感想があるということは、素晴らしい作品だということだと思う。
当分のあいだは頭で納得できても心が納得しなかったら、とりあえず闘ってみろよ。こんなもんか、なんて思って闘いから降りちまうのは、ババアになってからでいいじゃねぇか
僕は最高だった。