「置かれた場所で咲きなさい」は、決して「その場所で我慢しなさい」ではないんですよ
2012年に発刊され、200万部を超える大ベストセラーとなった『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著/幻冬舎)。読んだことはなくてもこのタイトルを知っている人は多いですよね。
でも、この「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が、ラインホルド・ニーバーという米国の神学者の詩の題名からとられていることは、あまり知られていないのではないでしょうか。
ラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)は、「ニーバーの祈り」という詩の作者(とみられる)と言った方が分かる人は多いかもしれません。
私は公務員向けの記事やSNSの発信、研修などでこの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を使うことがあります。
それは人事異動に対する公務員としての姿勢として、
「配属された部署で、与えられた仕事で、全力を尽くして幸せになりましょう。それが私たちにできる唯一かつ最善の行動ではないでしょうか」
という主旨でお伝えしています。
でも、ときとしてそれは、
文句を言っても仕方がないってことでしょ
次の異動まで我慢しなさいってことでしょ
そんな風に理解され、受け止められることもあるようです。
言葉は受け取った人のもの。
そう受け取る人がいることは必ずしも本意ではありませんが、そう受け取る人を否定するつもりはありません。
でも、この記事を読んでくださっている皆さんには、本当の意味を知っていていただきたいのです。
「置かれた場所で咲きなさい」
この言葉をタイトルに持つ英語の詩は、本当は
「置かれた場所で諦めず、最善を尽くすことで、幸せになりなさい。それがきっとあなたの周りの人をも幸せにするから」
という意味なんです。
決して、「その場所で我慢しなさい」という意味ではありません。
英語の詩もその翻訳もネット上で探すといくつも見つかると思います。上記は原文の詩の私の意訳です。
原文はこちらです。
公務員の異動は転職のようだと言われ、自分の意志と関係なくそれまでと全く関係のない部署に配置転換されたりします。
確かに置かれる場所は自分の意志ではどうにもなりません。
でも、そこで何を為すか、腐るのか最善を尽くすのかは自分の意志で決められます。
そして、最善を尽くすことで充実感を得て、自ら成長することもでき、周囲の信頼や感謝も得られるとしたら、職業人としては幸せだと思うのです。
だから、最善を尽くすことを自分の意志で決められる人は、幸せになることも自分の意志で決められるはず。
ちゃんと職員一人ひとりのキャリアのことを考えて、一人ひとりにとって意味ある人事異動を発令するのが人事の責任。
それは確かにそう。私もそう思います。
でもね。
「人事がそんな風に理想的な人事異動を発令してくれなかったら幸せになれない」
そんな風に言ってしまったら、それは、
「人事がそんな風に理想的な人事異動を発令してくれるまでは幸せになれなくてもいいよ」
そう言うことと等しいと思うんです。
自分の幸せを人事に委ねるんですか?
自分の幸せくらい、自分で責任を持つ。
自分の人生のハンドルは自分の手で握る。
そのために
「置かれた場所で咲きなさい」
つまりは
「置かれた場所で諦めず、最善を尽くすことで、幸せになりなさい。それがきっとあなたの周りの人をも幸せにするから」
ということを大切にしたいなって思っています。
皆さんはいかがお考えですか?
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主に若手公務員を対象に「公務員が充実した気持ちでイキイキと働くことが、住民の幸せにつながる」という想いで、「自分の人生のハンドルは自分の手で握ろう」というメッセージを込めて書かせていただきました。
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