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2.由緒正しき遊び人たれ
ホモルーデンス 読書記録 未読
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憎めない演出がされている
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高校生の時、倫理と英語と古典・現代文以外は意識が無かったが、倫理も東洋から現代社会にかけて意識を飛ばしていたので試験の結果は散々だった。
今なら、宇宙物理学も勉強したいし、数学もトポロジーやヒモ理論の講義を受けてみたいな、と思うけれど、当時は実存主義的な悩みと希死念慮が強かったのでそれどころではなかった。有り勝ち、と括ってもいいけれど、よく生き延びたな、と褒めてやりたい。
別に今も自分に価値があるとは到底思えない。だが、蠱惑的な学問や藝術の山の前でそれが何処に繋がっているのか無知なまま死ぬのも勿体無いな、と思っている。
高校生の時の私は、過眠症状の中、朦朧としていた意識でホイジンガの名前を聞いた。
19世紀のホイジンガ、という名前と12,13世紀のマイスタージンガーの響きに似たものを見出していた。詩についての記述が相当量ある事を踏まえると近からず遠からずの発想である。
当時はホモルーデンスという言葉に興味を持てど書籍は入手出来ず終いだった。
先週入手してから少しずつ、複数の本とチャンポンしながら読んでいるが、こういう読み方は良くないらしい。
鎌輪ぬ。
遊びながら読むのもホイジンガとしては本望だろうから。
先日、美学校で行われた詩人、吉増剛造の講演がとてもおもしろかった。子供のような無邪気さで世界を見つめる姿勢が素敵だった。
本の読み方について気になるポストをエックスにて見つけた
ロランバルト曰く、我々は書物を読むことは不可能で、自身を読むことしかできない、というような内容だった。
昔、東大仏文修士の入試過去問で「人はけっして一冊の本を読むことができない。読んでいるのは自分のことである」という内容の文章について論じなさいという問題があって、ロラン・バルトの引用だったと記憶している。
— 伊達聖伸 / Kiyonobu Date (@KiyonobuDate) April 6, 2024
こちらである。
ロランバルトは読んだことがなく、記号論関係の書籍に必ず出てくる学者、という認識だ。
明るい部屋にあなたと二人
米津玄師の歌詞に出てくる明るい部屋とロランバルトは関係あるのかな
いじょ!
2024/04/07