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豊かに"イマ"を生きる【Cplus参加日記Vol.0】

こんにちは。しまさんです。

今日から、マガジンとして、オンラインの表現プログラム「Cplus」の参加日記を書こうと思います。

昨年9月~10月にも参加していて、その時の話も少し書きました。

この時のテーマは「豊かに生きる」

ブログの中で、しまさん的「豊かに生きる」とは、「今」である、と結論づけました。

当初、仏教での「少欲知足」が豊かに生きるヒントだろう、と思っていました。足るを知れば、豊かに生きることにつながるだと思います。

ですが、それ以上に「今を見つめること」の方が豊かに生きることにより近いとプログラムを通じて感じたのです。

やっぱり甲本ヒロトだった

ザ・クロマニヨンズの「生きる」に出てくる言葉と、ザ・ハイロウズの「即死」に出てくる言葉が非常にヒントになりました。

「未来はわからないけど、出会うものすべてを待っていた」し、その出会うものは「見たいものと見せたいものばかり」だと思っている、挑んでいく。
そして「僕に見えるものだけ、そこにあるもので、たくさんのものが手に入る。人生はヒントだらけなんだぜ」と。そう思っているから人生を楽しめるし、永遠に夢を追いかけられ続けられる。今を楽しめる。
いつでも来るもの、なるもの、起こること、何もかも「僕は待ってたんだぜ、楽しみにしてたんだぜ」という気持ちの持ちよう、というのを人生の豊かさとして、一つ要素としてとりあげたのです。

「もううんざり」なこととか「何が正しいか知らない 何が楽しいか知ってる 」ということとか、理解して行動している、というのが「自分の人生、自分で手綱を引っ張っている感覚」につながるんじゃないかと。

またしても、というか何度も登場してしまう彼らの歌詞。その位僕は影響を受けています。

プログラムを通しての結論が「豊かに生きるとは、今である」と。

この場合の「今」

この時に言った「今」には多くの意味がある。

それは、

「今この場」
「今このとき」
「今の人生」
「今訪れた悲劇・喜劇」
「今この環境」
「今付き合っている人たち」
「今聞いている曲」
「今食べているモノ」
「今呼吸している自分」

など、まさにすべてに通じる言葉だった、それを感じ取れることが豊かに生きていることだと僕の結論に至ったわけです。とはいえ、すべからくできているわけではないし、この「今」を最高なものにするためにいきているとも思います。

「”普通”なんてものはない」僕が挑む「普通ってなんだ?」という問い

その結論を手に入れて、2か月。

再び緊急事態宣言が発出された川崎市のとあるマンションの一角から、次のチャレンジをすることにしました。

今度は2月20日スタート、3月28日にゴールするプログラム、やっぱりオンライン完結なんだけど、次のテーマは「普通ってなんだ?」

僕にとっては、「”普通”なんてものは存在しない」という理解だし、だから今も生きているし、「普通」に苦しむ人生はまっぴらごめんと思っています。

ただ一方で、自分の人生においていわゆる「普通」を選び取っていないことも事実としてあります。他の人が経験するような人生は歩まない(歩めない)と思って。いつのまにか「普通」から離れているようで離れていない人生なのかもしれません。僕の枠が小さすぎるだけかもしれない。

だから、「普通ってなんだ?」を表現する、定義することから逃げない、向き合うことが必要だと思ったのです。

「普通じゃない」は「普通」が存在しないと、存在できないんだから。

このメッセージが届く層、響く層はおそらく「普通に生きているけど、普通が苦しい」人ではなく、「普通ってものは存在しないよ、そんなこと知ってるけど、じゃあ「普通ってなんだ?」と疑問はある」という人だと信じています。僕がそうだから。

ここまでnote読んでくださった方は、おそらく、そういう「ふわっとした懐疑」をお持ちの方がいると思います。そういう方にぜひ、参加してほしい、そう考えています。

お待ちしております!


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嶋田尚教(しまさん)
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