”真剣”であることと”楽しむ”は紙一重
以前、僕が「その人の悩みを相談する、ということは、相談された側にとってはその場の相談に過ぎないけど、相談する側にとっては人生掛かってるかもしれない」という話を書いた。
悩み相談を多く受けるからこそ思ったことを書いたんだけども、考えてみれば、「真剣にやること」が全てなのかな、と思った。
真剣にバカやれること
大学時代のサークルの人で、僕とすごく仲が良い一つ上の先輩がいる。サンドウィッチマンさんみたいな旅行行くほどではないが、さまぁ〜ずさんくらいふらふら散歩は出来ると思う。先輩は院生だったので、社会人としては僕が1つ先輩だ。
そのあとに書いたnoteはこちら↓
そんな先輩とは、つねづね話してることが「お互い本気で(もしくは真面目に)バカやれるよな」である。
間違いなく今必要なスキルだと思ってる。
これから、「大変な仕事」「人がやりたがらない仕事」はどんどんAIやコンピューターが代替するようになる、という言説はよくある。
落合陽一さん、堀江貴文さん、イケダハヤトさん、ひろゆきさん、オタキングeXこと岡田斗司夫さんなどなど。先を歩く人が異口同音に言うのだから。
何をやるにしても真剣にやることは楽しい。楽しいから真剣にやるんじゃなくて。その真剣にやれることを日々探そう、やろう。
なんでそう思うかって言うと、そのくらい真剣にバカをやると楽しいし、その楽しさが「やりたいことをやるためにやらなきゃいけないこと」を飛び越えていけるからである。
僕は会社で働きながら、NPOのボランティアで資金集めのお手伝いをしたり、お寺活性化のためのイベントを主催したり、またあるときはお寺やNPOに訪問して話を聞いたりしている。
この辺のことは、真剣にやれるし、楽しい。ただ、一方でやるべきことも山積みだ。
例えば、NPOの資金集めは、説明会を開催したり、Webサイトのライティングで共感を生んだり、寄付促進のためのツールの作成、クラウドファンディングで夢を描いて叶えるまで伴走したりと、見た感じ華やかだが、それまでに至るのは「やらなきゃいけないこと」が圧倒的に多い。
アウトプットに対して5倍は労力をかけてる
でもやれている僕がいる。
それは、多分、「いまその日々を真剣に楽しくサイコーに生きている」ことだからなんだと思う。
今日はどんな記念日なんかよりも
「いまその日々を真剣に楽しくサイコーに生きている」という話で言うと、やっぱり甲本ヒロトさんの話が出てきちゃうw
ヒット曲「TRAIN-TRAIN」に出てくるフレーズにこんなものがある。
世界中に定められた どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は どんなにすばらしいだろう
世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう
この部分は、いろんなとらえ方ができると思うんですよ。
例えば、高校生カップルがこれを言っていたらすごい青春。「世界中に定められたどんな記念日よりも、オマエと過ごす時間がサイコーなんだよ!」とか言ってたら僕は間違いなく卒倒モン(どちらかというと嫉妬で)。
ただ、個人的にこの部分はもう一つ意味があって、「ブルーハーツにとって(聴いている)あなたへのメッセージ」と考えると一気に深みが出る。
どんな記念日よりも生きている今日はすばらしい
どんな記念碑よりも生きている貴方は有意義である
とブルーハーツに言われている、そう考えるとこの曲の深さをすごく味わえる。
「いまその日々を真剣に楽しくサイコーに生きている」ことがすばらしいのだよ、と。
日々の幸せとか、出会いとか、もしくは「僕が生きていること」自体とか、別に特別さはいらない、日々がすばらしい。
そう考えると、今ある幸せをかみしめた方がよいな、と思うし、僕自身も今楽しいこと、今真剣にできることにフォーカスしなきゃ僕自身も今楽しいこと、今真剣にできることにフォーカスしなきゃ、と思う。
まずは今できること、そこで最高をだす。自分の力相応に一番を目指す。そして、楽しいことに時間をかけよう、今つまらないならもうやめてしまおう。真剣にできない事なんてやっても無駄。誰かがやってくれることなんて特に。
だから、僕にとって「楽しいことをやることと真剣にやれることは紙一重」と言い切れるわけだ。
今は何ができるんだろう、その楽しさに、向き合おう。そのあなたの在り方を認めよう。それでいいじゃない。
THE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」全歌詞はこちらから↓