夫婦旅:vol.3 守られた祈り
これは先月夫婦で旅した記録です。
vol.1〜2はこちらから。
では続きをどうぞ。
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ベッドの寝心地は思いの外よかったらしい。
一日中歩いたという疲れはあるものの、「寝た」という実感はある。
さぁ、朝食ビュッフェに行こうじゃないか。
寝起きのヘロヘロから、お外向けに仕上げて、朝食会場へと向かう。
受付までいき、はたと気づいた。
どうやら「朝食券」が必要らしい。チェックインの時にもらえるはずだが、私達はセルフチェックインをしてしまったから、もらった記憶がない。
どうしよう……なんてぐずぐずしていたら、夫がさっさとフロントに確認をとっていた。
夫はこういう時迷わず聞きにいくタイプで、私はぐずぐず考えて、最適解が出ないと次の行動に移ることができない。真反対だけれど、そこでイラついたり、焦らせたりせず、適度に無関心なところが、ちょうどいい。
旅ってふとした瞬間にこういう特性が出るよなぁ、なんて考えていたら、すぐに朝食券が用意された。夫よ、ありがとう。
ビュッフェには定番の和洋食メニューから、伊勢名物までずらりと並び、飲み物の種類も多い。ホテルの規模はそこまで大きくないのに、かなり充実したラインナップだ。
私たちはこういう時「どうする?あれとる?」なんて会話はない。別行動でテキパキと目的のものをゲットしていく。
私は和食中心メニューで、朝イチの味噌汁は欠かせない。夫は欲張りメニューで、そのビュッフェにしかないものを絶対持ってくる。今回もほら、伊勢うどんを持ってきた。
「それおいしそう」「どこにあった?」
なんてそれぞれの成果物を褒めつつ、今日の予定について話していく。今日も暑くなりそうだから、早めに出るのが吉のようだ。
朝食後、部屋で出発の準備をしていると、ふとあるレシートに目が止まった。それは前日セルフチェックインをした時のもので、複数枚のレシートが連なっていた。そこに「朝食券」の文字が見える。
…なんてこったい。
セルフチェックだったから受け取ってないかも、なんて短絡的な答えに辿り着いてしまったけど、そんなはずはない。あぁ、フロントスタッフさん、ごめんなさい。これは完全なるわたしのミスでした。
必要だったはずのレシートにそっとお別れをして、私たちはホテルを後にした。
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2日目はお伊勢参り。
外宮、内宮の順にお参りするのがよいとガイドブックに書かれていた。
私たちが泊まったエリアは外宮のすぐ近く。大きい荷物をロッカーに預けて、駅からまっすぐ伸びる参道を歩いていく。
参道を抜けた先に広がる深い緑。
このさらに奥に外宮があるらしい。
しんしんと樹々が立ち並ぶ姿に自然と会話も減り、少しずつ神様に近づいている感覚が大きくなる。その美しい森に魅せられたからか、この先の写真はない。決して浮かれていたわけではない。
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伊勢神宮は20年に一度、式年遷宮が行われる。
本殿の横にはぽっかり開いた土地があり、次の遷宮までにその土地に新しい社殿が建てられる。簡単にいえば神様のお引越しだ。
今本殿が建つ場所と、隣の土地とを20年に一度行ったりきたり、それが1300年絶えず行われてきた。62回目の遷宮が2013年に行われ、次回は2033年だ。
その予定地の前で、新しい社殿が建つ姿を想像する。
なぜ20年に1度なのか、さまざまな理由が推測されてきたが、明確に記した書物はないらしい。粛々と紡がれた歴史には、代々守られた想いが重なり、これからもそれは続いていく。
今日、私たちもその祈りの一部になったことを、体感した。
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神様へのご挨拶を終えた私たちは、せんぐう館に立ち寄った。
ここでは式年遷宮や、神宮で行われる祭りなどについて学ぶことができるが、まず驚いたのは、その祭祀の多さ。年間1500回もの祭りが行われているそうだ。
私たちが忙しなく日々を生きる傍ら、ここでは粛々と神との対話、祈りが捧げられてきた。それはただ、私たちが平穏に過ごすことを願って。
利益や見返りではない。
そんな祈りに私たちは守られてきた。
ただただその事実が体に染み渡る。
何をそんなに1人で頑張って生きてきた気になっていたのか。知らず知らず、たくさんの人の優しさという毛布に幾重にも包まれてきたというのに。
親や友人、仕事や趣味仲間。
よくいくお店の店員さん。
旅先で優しくしてくれたホテルの人。
たまたまバス停で話したおばあちゃん。
そして、遠くどこかで見守ってくれている誰か。
この伊勢で毎日捧げられている祈りは、おそらくほとんどの人がその存在にすら気づかない、みんなにかけられた毛布だ。
日頃熱心な信仰心はない。
それなのに、どこかその祈りに懐かしさを感じたのは、幼い頃から受け取っている無償の愛に似ていたからかもしれない。
そんな愛ある祈りを知った私たちは、この後圧倒的な神の存在を感じることになる。
それはまた続きの話で。