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『名前のない女の子』〜まだ熱が残るうち〜

この投稿は、noterのHowaさんが著した20万字にもおよぶ大作、『名前のない女の子』という童話を読んでの記録です。深夜に読み終え、勢いそのままにスマホのメモに吐き出した言葉を、少し綺麗にしてまとめています。

熱が残るうち、と言いながらすでに読み終えて少し時間が経ってしまいました。時間が経つと、思うことは徐々に増えていて、最初のどんっと落ちてきた感想とはやはり違うものになってきています。感想というより、考察になってきているかも。

今回はその考察の前に、どんっと落ちてきたものをここに記します。考察についても含めようと思いましたが、あまりにも言葉が多くなってしまうので、まずはこれを第一章とすることにしました(ここから派生した書きたいテーマも出てきたので、それはまた追々残していきます)。

最初に感じた思いというのは二度と味わえないので、今後また『名前のない女の子』を読み直した時、自分の考え・感じ方がどう変化していくのか、ここに記したことはその出発点として大事な記録になると思います。

ここでは、まだこの物語に触れていない方の方が多いと想定し、あまり話の内容に触れずに感想を書いています。少々意味がわからない部分もあるかもしれません。紹介文や解説文ではないし、感想というか、印象に近いかもしれません。なんで志麻がこんなこと言っているんだろうと気になったら、ぜひ『名前のない女の子』を手に取ってください。

以下、とある言葉が頻出しますが、これはあくまで私がこのお話に対して思い浮かんだキーワードの一つです。全然違う印象を持たれる方も多いと思います。むしろ、人によってかなり印象の分かれるお話だと思います。

もしも私のこの投稿を読んで、興味を持ってくださった方、ぜひ『名前のない女の子』を読んでください。そして読み終えた貴方の一番最初の新鮮な言葉を聞き、ぜひ一緒に語り合いたい。その思いを胸に、以下の読書印象文を残します。

よろしければお付き合いください。

***



『名前のない女の子』

一見、それは「誰も幸せにならないじゃないか」という結末で終わってしまった。

この物語を読む前の私だったら、ストーリーと結末を聞いてきっとそう思っただろう。でも違う。このお話にはいわゆる「普通」が存在しない。

私達はいつもどこかで、誰かが決めた「普通」に囚われている。物語には何かしらの結末があって、きっとメインのキャラクターが何らかの形で幸せになるんだろうと、どこか潜在的に思っている部分がある。でもそれは、あくまで私たちが生きる世界によくある「普通」である。

この物語には、私たちの知る「普通」に囚われていない、またはそのように見える人たちが登場する。でも彼らは彼らなりの「普通」を基準として生き、そしてそれに囚われている(話の中で彼らはそれを「自然なこと」と表現していた)。
彼らが生きていく中で、それが当たり前で、自然なことであるはずだったのに、ちがう「普通」を知ることで彼らは少しずつ揺らいでいく。でもそれは私にとって、非常に気付きにくい揺らぎだった。

なぜ、読者である、俯瞰しているはずの私が気づかないのか?

それは彼らの生きる世界は、私達には到底あり得ないことで溢れているから、それを理解するまでに時間がかかりながら、物語を読み進めているから。

そして、何とか理解しようと一字ずつ読み進めている間にも、揺るぎないはずの彼らの「普通」は揺れて変化していく。私たちの世界に様々な「普通」が存在し、人生経験の中で自ずとアップデートされていくように。

…そんな物語。と簡単にはまとめられない。

「分からないものに対する理解」

人間はずっとそこに苦しんでいると思う。関心を持ち続けていたとしても、何代にもわたって考えても、答えが出ない。

この物語の中では、そんな問いが繰り返される。たった一時代を生きる私では到底答えの出せない問いが。いや、答えを出そうとして分からなくなってを繰り返しているような気もする。

でも、答えが出ないのは「まとまり」での答えであって、本当は個々の心の中では答えが出ていることが大半だ。だとしても、世界に生きているのは1人じゃない。誰かがいるから、誰かを思うから、意思があるから、その心の中の答えに鍵をかけることもある。

良いも悪いもない。
そんな世界は難しい。
難しいから難しいなりに考えて、良いと思ったことをやって生きている。でもそれはやっぱり誰かにとっての悪いであって。

難しい、本当に難しい。

でも私がこうして難しいと思うことも、誰かにとっては簡単で、そんなこと考えるなんて可笑しなことだと笑われるかもしれない。

人の厄介なところは、考える力を持ったことだ。
物語の中でもそんな煩わしさを感じる場面が多々ある。

でも誰かにとっての「良い」が生まれるのも、その考える力があるからだ。

「普通」というものに答えはない。
むしろ「普通」って何だろうか?
今まで信じてきたものは本当に「普通」なのだろうか?

物語を読み進めれば進めるほど、分からなくなる。

けれど、"わたし"という個は思う。
答えを出すことが全てではない。
「誰かの『普通』に囚われるなんて、おばかさんだ」

そう言えたら、いいのにねって。
小心者の私は思うのだ。



***

以上、私のファースト読書印象文でした。
どんな印象を持たれたでしょうか。

様々な意見があると思います。

私は普段SNSであまり「意見」となるものを強く発信しないように、あえてしているのですが、『名前のない女の子』に関しては作者であるHowaさんにきちんと自分の思いを率直に伝えたいとおもい、私なりになるべくはっきり書いたつもりです(うまくそうなっているかわからないですが…)。

今後また『名前のない女の子』に関して、考察編も書きたいので、そこでは私の過去の経験から感じたことも踏まえつつ、記して行きたいと思っています。

最後になりますが、作者であるHowaさんは童話に関する活動・想いをマガジンにまとめています。こちらでは他の読者さんの感想や、書評、Howaさん自身がどのような考えでこの童話の広がりを捉えているかを知ることができます。

実を言うと、私も全部に目を通せていません。
言い訳のようかもしれませんが、実際に書店で本を手に取って読み始めた時のように、まっさらな状態でこの童話に触れたかったのです。なので今、少しずつこのマガジンを読み進め、あぁこんな風に考えていたのか、他の方はこういう風に感じたのかとようやく自分の外の言葉に触れています。

Howaさん自身もとても興味深い方です。
柔らかい言葉の中に芯がありつつも、いろんな言葉や想いを柔軟に受け止め、想像を膨らませ、言葉を返してくださいます。少し変な言い方かもしれませんが、コメント欄でHowaさんと話していると、何だかものすごく届きづらい痒いところに手が届いた気持ちになります。

ぜひそんなHowaさんの童話の世界、触れてみてください。

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