子どもや部下を怒りたくなったら 21.11.04
ご訪問いただき、ありがとうございます。このnoteは『思考は文字化すると現実化する』の著者、横川裕之の日々の気付きや頭の中身を残していくものです。なので、推敲はほとんどせず、思いついたままに書いています。
眠くて眠くてベッドに入ってまどろんでいるときに、「あっ、noteを書いてない…」と、気づいて慌てて書いております。いやぁ〜思い出せてよかった。目の前のPCに「note書いた?」って、貼ってあるにもかかわらず、まったく認識していないという…。
目の前に存在していても、意識していなければ、入ってきません。「眼中にない」という表現を昔の人は作りましたが、素晴らしい表現ですよね。
ん〜noteを書きはじめてみたものの、頭が働かないので、言葉も出てこない…。でも、今日は眠りにつく直前に思い出せた。これだけで充分です。もし、もう一度やり直せるなら、帰宅直後にnoteを立ち上げて、そのときに思っていることを書いてアップしておきます。
あっ、ちなみに子どもや部下を怒りたくなったら、こう聞いてみるといいですよ。
「そんなことするくらい、よっぽどのことがあったんだな」
って。
これは元教師で現在は農業をやっている小玉宏さん(通称:たまちゃん)のお話で教わったこと。幸せに満たされている人が悪さをするはずがありません。でも、悪さをしたということは、我慢できないくらいよっぽどのことがあったからです。
その我慢できなかった部分を聴いてくれる、それは相手からしたら、「この人は自分を理解しようとしてくれているんだ」って、思うものです。
たまちゃんは教師の仕事をこう表現しています。
「教師の仕事は目の前の命を信じること。これ以上のことはない」
たとえ肉親からも信じられなかったとしても、教師だけは最後の最後までその生徒の味方であり続ける。最初は心から信じられないかもしれない。でも、最初は「信じるフリ」でもいいのです。そのフリを続けていたら、それがやがて本物になっていきます。
教師と生徒の関係だけでなく、親と子、上司と部下など、いろんな関係に応用できる話ですね。