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東日本大震災から10年

10年前の今日。
夜勤明けで帰宅途中のバスの中でした。
「地震ですので停車してドアを開けますが、絶対出ないで下さい」とアナウンスしながら、ゆっくりバスを公園脇に停車させた、流石な運転士さん。
ドアが開いてすぐに、大きな揺れがおこりました。公園にいた親子達の悲鳴、街灯が90°にしなる様子はスローモーションのようでした。
バスの中だったせいもあると思いますが、ものすごく冷静に見ていました。遂にきた、と思っていたからかもしれません。
前方のビルからは黒い煙が上がりました。建物からでて携帯をいじる人も多くいました。建物から離れろよ!と思いながら揺れのおさまりを待ちました。
宿舎について、家には上がらずそのまま車で気象台に戻りました。
普通は車を使ってはいけないですが、宿舎から気象台へは、普段住民かタクシーくらいしか通らない、一方通行の細いくねくね山道。歩いてもバスでも軽く30分以上かかるところを5分以内で出勤できる、非常時に使える道として調べておいた道を車を飛ばしました。
信号機が止まり、警察署から警察官の方々がすぐに出てきて手信号を始めていました。非常時にすぐに対処できるよう、常に備えているんですね!
電車も止まり、出勤できない職員の代わりに、連続して当番に入りました。
邪魔なだけな管理職より、現場をまとめて仕切ってくれた予報官や専門官。
現場は、業務も人も大事にしました。

車で向かっていて、いきなり視界が開けた陸前高田。
何も無くなってしまった地に残った一本松。「奇跡」という言葉そのものでした。

まだまだ大変な状況が続いているし、新たな災害もあちこちで起こっている。
お亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

地球が生きている、その営みが激しく現れる日本という国に生きているということを、忘れずにいないといけない。
知っていれば失わなくても済むのなら、知っておいた方がいいのです。
そんなことを思い出してもらえるよう、精一杯力を尽くしていきたいです。

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