碑と社を建てる日本人
墜落したB29の慰霊碑
少し前に↓の投稿を知りました。
「亡くなった人は皆、仏様」になる、と考えて、(戦後でした)慰霊碑を建てて実践している国民性は本当にもっと知られてほしいと思います。
風土病の供養の石碑
日本のある地域で猛威を振るっていた日本住血吸虫症という地方病をご存知でしょうか。現在、この寄生虫病は撲滅されていますが、記録されているもっとも古いと思われる文献に『甲陽軍鑑』があり、そこには腹部だけが膨らんだ状態を意味する記述があるそうです。
参考
ここから、この病気が当時、どれほど恐れられていたか、この地方の人たちがどれほど苦しんでいたか想像できるでしょう。
この風土病の解明については多くの医師たちの努力と、現地の人の献身的な、まさに自身を犠牲にして研究に捧げるなどの働きがあったことが知られていますが、古来から永く本当にながく苦しめられてきた病気との戦いは壮大で、壮絶なものです。
是非、お時間のある時に一度、ご覧ください。(ちょっと気持ち悪いかもしれないですが。。。)↑と同じWikipediaです。↓
多くの人たちの働きによって撲滅された病ですが、現地の人たちは病気の要因のひとつであったミヤイリガイを「供養」するための石碑を建てています。
邪馬台国と卑弥呼の痕跡
今でもTVなどで時々、話題にされる邪馬台国と卑弥呼ですが、日本には卑弥呼がいた痕跡がほぼ全くといっていいほど残されていないことはよく知られていると思います。
例えば神社や石碑が残っていてもよいはずですが、全くそれらはないと言われています。また、卑弥呼の記述は「魏志倭人伝」にしか記載がないそうですが、「魏志倭人伝」は(ほぼ)偽書とされていると聞いています。
実際に残されているものや、土地の人の固有の考え方、習わし、振る舞いいなどをよく見てみるとまだまだ興味深いことがたくさんありそうです。
金印(も)捏造品とのことらしいですが。
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