「志高く」バックナンバー㉒~俺そう言うよな~
こんにちは、志高塾です。
今回お送りするバックナンバーは、初めて掲載されたとき、きっとこの先もなにか迷いがあるたびに読み返すだろうなと思ったシリーズの一つです。
Vol.417「俺そう言うよな」(2019年10月8日/HP掲載)
2学期が始まる直前、長男が数分おきに「痛い、痛い」とお腹を押さえながら床にうずくまるので、妻が心配して病院に連れて行ったが悪いところは見当たらず。
結論から言うと、精神的なものであった。1日ぐらいは学校を休んだ気もする。夏休みの終わりに小学校で催された夏祭りで友達の輪に加われなかったことがその原因。その日、我が子は生け花教室で夏休みの自由研究として提出する作品の制作に時間を掛けていたため、3時間ぐらい遅れで参加することに。小さい頃から早く仕上げることよりも、周りのことに惑わされずに自分のペースでいいものを作り上げなさい、ということを伝えてきた。幼稚園の参観で工作をしたときも、周りの子は親の手がかなり入った完成品を誇らしげに披露している中、我が子達は不細工で作り掛けものを持ち帰り、続きを家でしていた。そういう風に育ててきたので、その日の長男の時間の使い方も私にとっては満足の行くものだったのだが、うがった見方をすると、そのようになることを子供なりに予見していて、その事実を目の当たりにするのを遅らせたかっただけなのかもしれない。
夏に、子どもたちを両方の母親に交互で預け、夫婦で2週間のヨーロッパ旅行を楽しんでいる間、長男は私の母に号泣しながら「僕には友達がいない。みんな、家に帰ってから通信ゲームをする約束をしていて、学校でもその話をする。話に加わろうとすると『おまえ、わかってへんやろ』と入れてもらえない。でも、このことはお父さんとお母さんには絶対に言わないで」と訴えていたらしい。
帰国後、そのことを母から伝え聞いた。私の心に大きな波風が立った。方針転換をしてゲームを買い与えようか。学校で友達がいないなら他のところで作ればいい。Z会もうまく進んでいないから、進学塾に通わせるか。そうなれば、宿題に追われてゲームどころではなくなるか。
ひらめきは大事である。親御様に何かしらの相談を受けたとき、その場の思い付きを私は平気で口にする。あたかもそれが最善の策であるかのように。もちろん、それで終わりではない。その後、その正当性、妥当性について「あれで本当に良かったのか?」とその論理的根拠を探りに行く。その結果「よくよく考えてみたらあの提案は間違いでした」と覆ることはほとんどない。「ひらめき」と表現すると格好はいいが、ゼロから考えているわけではなく、私の中に蓄積されたデータを基にして瞬時に判断しているだけの話なのだ。瞬間的であるがゆえに、余計なものが入り込む余地がない。一方で、上の長男の出来事は、何が原因で、それを取り除くためにどうしたらいいか、などと考え始めるから悪手しか思い浮かばない。そういうときは、まずは表面に浮いてきたアクを取って、澄んだ状態に戻してから再考するしかない。解決策を練るためのプロセスというのはいくつかあるが、それがどのようなものであれ具体策をイメージしようとせずに原因を探ったところで核心には近づけない。
澄んだ状態に戻してどうするか。親御様に同じようなことを相談されたら、どう答えるかを考える。きっと俺そう言うよな。そうすることは簡単ではないけど、そうすることが一番いい結果につながるから。だから、自分の子供にもそうするべきだよな。
このように表現すると、いかにも自分で考えています、というようになるが、実際はそうではない。親御様からこういうことが起こってこういう風に対応したらうまく行きました、という事実を聞いたことをそのまま利用していたり、親御様から教えていただいた情報を少しアレンジしたりしているに過ぎない。
機を見て、長男に声を掛けた。母から聞いた、ということは明確にせずに「ゲームの話ができなくても、そいつと話して面白いと思われたら、周りのやつは近づいてくる。面白いと思われてないことが問題やねん。それにゲームをしてない子もいるから、その子達と遊べばいいだけの話やで」というようなことを話した。ゲームのことに関しても、長男がまだ幼稚園に行く前から何人かの親御様から「別にゲームなんてなくても友達はできますよ」ということを聞いていた。
親としては子供に何か問題が起こればつい手を差し伸べてあげたくなるが、それをしてしまうとその先でもっと大きなけがをしてしまう。勉強でも、生徒が分からずにうなっているときにヒントを与えてしまうと、その場はそれで済むがそういうものが積み重なるともっと大きな塊になって返ってくる。大事なのは、まずはその子自身の力で乗り越えられる難易度のものかどうかを見極めてあげること。難しいな、となってもすぐに手を出すのではなく、タイミングを見計らってあげる必要がある。その上で、次につながるための最低限のヒントを与えてあげる。この手順を間違えなければ生徒達の学力も、我が子の人間力も成長していく。その手順を安定的に踏むことは容易なことではないのだが。
長男は、これまでとは違った公園で別の友達を遊ぶようになったようである。学校にも毎日元気に通っている。
松蔭俊輔