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信頼はなぜ裏切られるのか デイヴィッド・デステノ 寺町朋子/訳


信頼という幻想

このタイトルの本を読むに当たって、大抵の人は『特定の相手は自分にとって信用できる相手なのか?』を判断する技術を求めて読み始めるだろう。

実際、本書のなかには、不誠実な行動を取りやすい人の動作(手がかり)や、どういった立場の人間がそうした行動を取りがちなのかが書かれている。
だが、そのように誠実な相手と不誠実な相手を見分ける方法について、驚きの事実(直観に反するような意外な手段)は書かれていない。

そもそも、自分にとって不誠実な行動を取った人物がいたとして、その人物が不誠実さからそうした行動を取ったかのかは不明だし、その行動は偶然の事故に起因するものかも知れないし、単なる能力不足からのものかもしれない。
職場で上司になにか質問を投げかけた時、こちらが望んでいた答えが返ってこなかったとして、その上司が不誠実なのか、知識不足なのか、それともこちらの質問が不適切だったのかはすぐには判断できない。

常に相手から誠実な行動を引き出すことは不可能である。
常に誠実に振る舞うことのできる人間など存在しない。

『それはそうだろう』『言われなくてもわかっている』と感じる人もなかにはいるだろうが、この二つが、私が本書を読んで重要に感じたことだ。


信頼欲求の根源

本書で書かれているある実験のなかに、「各プレイヤーに4枚のメダルが配られ、持ち手には1ドルの価値、相手には2ドルの価値があるルールで、1対1でメダル交換をするゲーム」がある。

通常の状況でこのゲームを行うと、相手に渡すメダルの平均枚数は2枚──最も誠実な振る舞いと最も利己的な振る舞いの中間点──に落ち着いた。
一方で、ゲームのプレイヤーに感謝の念を抱かせるような体験をさせた後にゲームを行った場合には、相手に渡すメダル枚数が増えたという。──相手プレイヤーが感謝を抱く相手とは関係がなくとも、だ。
そして、これは社会的ストレスに関しても同じことが言えるとして、社会的なストレスを与えたうえで同ゲームを行い、下記の結論に至っている。

社会的ストレスは、誠実な振る舞いを劇的に増やすことが見出された。つまり、社会的な不安のある人たちは、そうでない人に比べて相手に協力する割合が約五十%多かった。

(39P)

また、社会階級の高い人々の信頼度が低いことを証明する実験結果が示されているが、これは彼らが恵まれた環境で育ってきたからだけではない。後天的に社会階級が高くなった人々もまた、信頼を失う振る舞いを助長することが示されている。

原因は、彼らが今も恵まれた環境で暮らしているから、すなわち、この瞬間に消費できる資源を依然として持っているからだ。信頼度を生み出すのは、自分には他者が必要だという感覚である。言い換えれば、自分は無敵ではない、あるいは、独りでは望む目標を達成できないという感覚なのだ。

(P161)

要するに、社会階級が低く貧しい人々は、信頼される振る舞いをしなければ生き残れないからこそ、そうした振る舞いをしているのである。

ベニート・ムッソリーニほど、権力と信頼の刺激的な関係をうまく捉えた者はほとんどいまい。彼はこう述べている。「人を信頼するのはよいことだが、信頼しないのははるかによいことだ。」私が冒頭で述べたように、ほとんどの人は、他者を信頼する必要があるから信頼する。自力では得られなさそうな資源や利益を得るためには、他者を信頼するしかない。

(P171)

他者を信頼する──つまり裏切られるリスクを冒すことなど、それによって得られるリターンが必要不可欠なものでない限り、必要のない行為ということだ。


繋いだ手を放す必要はない

ここまで記事を読み進めて、『社会階級が高い人は信頼できない! 貧困者を信頼しよう!』などとは思わないでほしい。
確かに人間は誰かを信頼するか否かを決める際に、相手を信頼することで得られる利益と相手を裏切ることで得られる利益とを、意識的にも無意識的にも計算して判断していることが本書では示されている。

特に意志力の衰えた状況では、人間は誠実な振る舞いを“選択”することが難しく、目前の誘惑に流されやすいことも、はっきりと示されている。

ただ、まあ、言ってしまえば“それだけの話“だ。
囚人のジレンマはじめ、長期的な関係性を考えれば、互いを信頼し合う方が利益を最大化できることはわかっているし、我々は貧しくても助け合えば生きていける。

それに、たかだか数十万年前の狩猟時代には、誰であれ特定集団から抜け出すことはできず、皆が現代の豊かさとは遠い生活をして、助け合いを余儀なくされていたはずだ。
一度“身内”──自分の人間関係の輪のなかの人間──と感じたなら、大抵のことはバイアスかけて許し合えばいいだけの話だと、私は思う。何といっても、相手が信頼できるか否かはその時々の状況で変わるからだ(しかも、それは相手の責任ではないかも知れない)。

さて、漫画の台詞だが、本書ぴったりだと感じたものがあるので、最後はそれで締めようと思う。

ゆれる吊り橋の上で手を繋ぎあうことは きっとまちがってない。

『バイオーグ・トリニティ』大暮維人/舞城王太郎

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