『新唐詩選』(吉川幸次郎・三好達治著)を読んで
ブックオフで何気なく手に取ったこの本は、学生時代の漢詩愛を再燃させ、ここ数日の私の癒しであり、救いとなった。盛唐の詩人たちは中国の壮大な風土でその感性を育んだ。彼らのダイナミックな生命の躍動は厳しい形式をむしろ自由の翼としており、私を終始驚かせる。韻律と彼らの鋭敏な感性が歯車のように噛み合うさまは清々しく、私の心は換気されるように心地よい。
彼らの専らの関心事は万物の推移と人間の不完全さ、そして自然の完全さである。それらは友愛、山河、旅、酒などのテーマを通して、哀愁や情熱、歓楽となって表現される。それらのテーマを愛すべきものとし、詩作という方法で尊び求めた彼らに、人生を豊かにする智慧を教わった気にもなる。中国大陸の自然と人間の心が織りなす、大胆と繊細が同居する傑作たちに、私はワクワクしっぱなしだった。万物流転の世界において、富や名誉、体裁に翻弄されることがいかにちっぽけでかえって貧しいことかを気づかせてくれる。それでいて、「そうやって翻弄されるのも人間だよね」と言ってくれるような包容力も感じることができる。
季節を介した情緒がベースになっている作品が多い。特に彼ら盛唐の詩人たちは、春と秋に詩心をそそられるようだ。その二つの季節はあらゆる二項対立に汎用され、栄枯盛衰を象徴している。季節を感じることは人間と自然の境界線を無にして、溶け合うことに近いと思う。自然との一体化は自らの生命を大きく肯定する手段だ。そして一体化は特別な神秘ではなく、本来の人間と自然の有り様なのだと思う。喜びや悲しみ、あらゆる感情は人間特有の気分ではなく、巡る季節と等しい自然の摂理なのだろう。
入門書ということもあり、吉川幸次郎(中国文学者)と三好達治(詩人)の解説もわかりやすかった。中国語が読めたら、漢詩をもっと音楽的に捉えることができるかもしれない、とか、漢字が象形文字であることを意識すると一気に絵画的にもなるな...と、そぞろに考えてみた。とにかく漢詩の鑑賞には数多の可能性を感じる。私も漢詩を書いてみたい、とも思った。長々と感想を書いてしまった。とにかく漢詩と再会できたことが、今の私のこの上ない喜びだ。