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「化身」
匿名・顔出し無し
日本でのSNSは体感値95%これだと思う。
更には「普通は鍵アカでしょww」と友人に笑われハッとした事もある。家族友人同士の情報共有ツールとして使用するのだと。なるほど。
自分は見ての通り顔出し実名である。
「スケ」がカタカナなのは画数のバランスが全体的に良い感じがするというだけの理由。
それはともかく、逆にアメリカではどうなんだろうとchatGPTに聞いてみたら一般的には顔出し実名らしい。
一方でゲーム等の特定のコミュニティでは匿名が基本という事もあるらしい。本当かどうかは知らない。
しかし世界的にみても匿名文化は相対的に珍しいとか。つまりこれは日本人の国民性を強く反映させている可能性が極めて高い。
※匿名である事を批判する記事ではないのでその点を踏まえて以降を読んで欲しい。
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日本の特徴といえば島国であり、また狭いだけでなく国土の75%は山や丘陵地帯で平野部が少ない。
そこに人が密集して暮らしてきたわけだから、その中で育った国民性と言ってもいいだろう。
出る杭が打たれる社会が先にある為、自分を表に出さず目立たずというコミュニティ論理が優先された。それが悲しい事に繋がった事例もあるが、コミュニティを守るという動機もまたあったと言える。
また他方で、立地的な理由から他国からの侵攻を受けにくかったというのも国民性に影響していると思う。
いずれにしても自分のプライバシーを慎重に扱うよう日本人はプログラムされてきたのではないだろうか?
そう考えると匿名顔出し無しが日本で一般的なのは一応の説明がつく。
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しかし村や町と違いネット世界では「どこどこの誰々」という「その人の所在」が無くなったという違いがある。
今の実世界ですら「○○三丁目の今井です」とはもう言わない。
若い世代や都会暮らしの人は何の事だかわかるまい。田舎では「ドコの誰か」という認識が地域にあったのだ。電話で出前を頼む時はこれだけで通じる。
今や住所は人に知られてはいけない認識。犯罪に繋がるかららしい。だとすると日本も随分と治安が悪くなった。
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ともかく「住んでいる地域の中の自分」
これが無いのがSNSの世界。
そこで名前を変え(新しい名)
姿を変え(アイコン)
そこに「もう一人の自分」を作る
それが本来の自分なのか
ありたい自分の姿なのか
それは分からないが
ともかくアバター(化身)が作られる。
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多くの場合はそんな事ないのだろうけど
こういう状況の中で「化け物」に変貌する人も
いないではない。
この手のタイプはきっと酒を飲んだら変貌したり、力を持ったら暴走するタイプと考えて間違いないだろう。
そういう人間の内面を表現したのが昔の「妖怪」だったんじゃないかと勝手に思ってる。
それが自然災害を含む日常生活の取り決め等と繋がっていたのではないだろうか?
民俗学に詳しい人はぜひ教えて欲しい。
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また「名は体を表す」ともいう。
SNSという呼称は日本独自だ。
Social(社会)のNetworkを指して言う。
ネットワークつまり「特定の集団」という意味合いで日本は使われている。これはネット上の「村」や「町」と言ってもいいかもしれない。そこを提供するServiceである。
じゃあ欧米中心とした海外でなんと言うかといえばSocial Mediaだ。
メディアだから「伝達する手段」という事になる。つまりこの場合は
「広範囲なコミュニケーション」を指しており新聞やテレビ以上の社会的メディアとも言えるだろう。
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つまり同一のサービスではあるものの、文脈の違いから呼び名が変わっている事になる。
日本でSNSという言葉が定着してるのもこれで一応の説明がつく。
当然「名は体を表す」だから個人のアイコンとかネームにも何かしらその人の意味が反映されている。そこにはやっぱり傾向もある。
それら全部含めてアバター(化身)であり
また、その人自身と言えるだろう。
さて皆さんはどんな姿をしているのだろうか?
【完】