【短編】フローズン・メモリー【#03】
夜10時過ぎ。
コンビニ弁当を安酒で流し込みながら、動画配信サイトで配信されたばかりの海外ドラマの最新話を流し見する。顔だけが整った役者が、同じようなテイストの脚本に沿って演じる恋愛ドラマは、安酒の肴にはぴったりだった。これでヒロインが不治の病にでも侵されれば完璧な流れだ。
外からは滔々と降る雨の音。この時期にどうも気分が沈みがちになるのは、きっと梅雨という透明な季節を孕んだこの国の風土病なのだろう。
「はぁ……」
9%の度数の安酒が、いつにもまして不味く感じる。以前は3%のかわいい酒を飲んでいたはずが、気づかないうちに度数も量も増えていったように思う。社会人3年目でこれだから、将来有望だ。
ふとした時に、脳裏を過日の思い出がよぎる。学生だった数年前に、心の空隙を埋めようとして築いた、一つ年上の先輩との薄氷のような関係の記憶だ。
終わりなんて来るはずがないと盲信しながら、耽溺するほどの甘さに身も心も委ね、ただただ月日を溶かしていた日々。半ば中毒的で蠱惑的な日々の残滓が瞼の裏に宿る度に、私はスマホを硬く握りしめる。
別になんてことはない。お互いに居心地と都合の良さを求め、結果的に成立した脆弱な関係だった。どちらからでもなく連絡をし、バイトや授業終わりに最寄り駅で待ち合わせてコンビニに寄り、適当に酒やスナックの類を買って家に行く。あとは酒を飲むなり映画を見るなり、適当に時間を潰してから肌を重ねる。その時だけは、互いに愛の言葉を囁いた。
シンデレラは12時で魔法が解けていたけれど、私達は日の出と共に解けてしまう魔法にかけられていたのだろう。あるいは呪いか。
感情の揺らぎが全くなかったかと言われればそうではない。虚飾の愛の言葉を囁いて体を重ねるうちに、その時間を待ち遠しく感じている自分がいた。別れ際に胸に締め付けられる疼痛を抱く自分もいた。
だから関係を終わらせた。元々都合の良い関係だったものに、それ以上の特別さを求めるのは私の我儘だと分かっていたし、何より私がそれを求めても彼は飄々とした態度でそれを受け流すだろうということが目に見えていたからだ。沼の底に沈む前に、私は岸に上がることを選んだ。別に美化できるようなことでも、褒められたことでもない。単にまともな人間に戻っただけだ。
連絡を取らなくなって数年、社会人になった私はただただ降ってくる仕事の山を片付けることに追われていた。
夢だったメディア関係の仕事に就けて、曲がりなりにも発信者になれたことは何よりも嬉しかったけれど、それ以上に降りかかってくる業務の量は私を閉口させた。
時計を見ると深夜1時を回っていた。明日も仕事があるのについ夜更かししてしまうのは、きっと今日という日に満足してないからだろう。
シャワーを浴びてスキンケアをし、ストレッチをしてベッドに入る。
ほろ酔いだったからすぐに眠気に襲われるだろうと思っていたが、なぜかいつまでも目が冴えている。
「変なこと思い出したからか……」
小さく溜め息をついて、眠くなるまでとスマホをいじる。一通りのSNSのチェックが終わり、私はふと思った。
もし今彼に会えば、鬱々とした私の中の澱はどこかへ行くのだろうか。彼の腕に抱かれているその間は、頭を覆っている薄いもやは晴れるのだろうか。
そう思うと、途端に彼に会いたいという歪んだ気持ちが湧いてきた。
LINEの連絡先は消していたから、学生の頃登録したきりだったFacebookで彼の名前を検索する。
「あっ……」
見つけた。少し痩せたのか、顔立ちはシャープになっていたが、それ以外はあの日別れてからほとんど変わっていなかった。
だが、私は嘆息したのは彼の姿を見つけたからではない。載せられた写真から伝わる彼の雰囲気が、私の知るものではなかったからだ。
彼のアイコンの写真には、隣で笑うウェディングドレス姿の女性。スクロールして投稿を遡ると、今年の初めに子供が産まれたことが書かれていた。寄せられるお祝いのメッセージと、それに心からのお礼を返す彼。そこには授業をよくサボってパチンコに行き、その帰りに私を抱く彼の姿は毛程もなかった。ボサボサの髪とダボついたスウェット姿はどこへ行ったのか、載せられた写真は小綺麗な恰好のものばかりで、彼が起業に成功したのだということが分かった。
ふと、急速に心がさめるのを感じてスマホを閉じた。
先刻まで抱いていた、過日の彼に対する湧水のような感情はあっという間に枯渇し、夜陰に溶けていく。
それは、今の彼とその周囲の人を傷つけたくないという思いやりからではなく、私の記憶の中の彼と、今の彼があまりに乖離していたことに対する名状し難い違和感と虚無感だった。
そこでやっと私は気づいた。
「あの人に会いたい」と、「あの頃のあの人に会いたい」は、天と地ほどにも隔たっているのだと。
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