愛を受け取るということ
あなたは、人からお金の援助をもらったことがあるだろうか。
私はある。なんどもある。
自慢することではないが..... と書いた方がソフトだが、いや、むしろこれは誇りに思っていいことなのかもしれない。
というのも、数日前に、また私はある方から思いがけず大きな援助をいただいた。そのインパクトは非常に大きく、大事なことを思い出した。
それは、人に支えてもらっていいということ、さらには、支え続けてもらっていいんだ、ということだった。いつの間にかまた焦っていた私が、一息ついて落ち着きを取り戻すのに十分なサポートだった。
支え続けてもらっていい、その分私はすでに誰かを支えているのだから。そしてこれからも人を支えるし、支えられるし、これは循環の中にいるということなのだった。愛の循環の中に存在できること、それは誰だって誇りに思い、喜んでいいことだった。
私は5年前に会社をやめてから、経済面が不安定なまま生活を続けている。一時期カウンセリングの事業が安定したこともあったが長くは続かず、しかしながら就職もせずに、今は天然石のアクセサリー制作販売を中心に過ごしている。
過去に、多くの人からお金をもらったことがある。親にねだったり、妹に借りたり、小さなクラファンを実施してお客様や友人に寄付をもらったり(私の最初の投稿はその話から始まっている)
このnoteでも支援を募って多くの方に助けていただいた。(noハン会もだが、私自身の活動へのサポートも秋に募っていた)
ここには書かないことも幾つかある。
その都度、支援をいただいてきた。だからこうして生きることができている。みなさんの気持ちに感謝して「今度こそ軌道に乗せなくては!」と奮起し、しばらくそのお金とその時々の収入で生活できるものの、それでもそのうちにやっぱり資金は尽きてしまう。
私は、せっかく私のことを信じてくれて応援してもらえたのに、自立しきれない、安定しない自分を、どこか許せなかった。
もともと、人からお金をもらうなんてことはできない人間だった。(その振り返りをすると長くなるので今回は省く。)
もう単純な白旗を上げることはすまいぞと気持ちを保ちながら、いくばくの収益をあげながらの今。また料金未払いによりネットがつながらなくなり、光熱費全般払えないものの、カフェでネットを摂取しながらPCを打ち、またしばらく家賃スルーするか... クレカはもうしばらく止まらないだろうから、そのうちにいろいろとなんとか頑張ろう.......
と思っていた矢先に、支えていただいたのだった。私がふと漏らした弱気に、きっと事情を察してくださったのだと思う。
大きく驚く、感謝に溢れると共に、未払い分を払ってネット環境を復活させ、他の光熱費も支払わせていただいた。
その方には、過去にもなんどもサポートをいただいてきた。ありがたく感じつつ、こんなに人に寄付できるのって本当にすごいなと密かに思っていたのだが、彼女は寄付を募るプロフェッショナル、凄腕だったことを後から知った。
その経験について書かれたnoteを読み、いただいた支援を振り返り、「応援されたからにはもっと頑張らなくちゃ」ではなく「私はこのまま進んでいいんだ」という気持ちに満たされた。
よくよく考えると、支援を受けた私は与えられているばかりではなく、すでに与えている存在だった。受けているということは、何かを与えているのだ。
そのように書くとどこか傲慢なようだが、しかし私も他人を支援する際、すでに何かをもらっているから応援する。その時、私にすぐにフィードバックをよこしてほしいとは思わない。全力をその未来に傾けてほしい、と思っている。
そうだ。サポートとは寄付であり、寄付とは、期待であり、夢であり、愛であり、感謝であり、未来のことだった。
私には未来がある。
実現させたい未来があって、そのためには生活していく必要もある。
もっと真剣にサポートを集めていい。もらったほうがいい。
サポートを受けるということは、夢をみんなの力を取り入れて膨らますこと、愛をしっかり受け取ってその先へ渡すことだ。
サポートする人は、その夢を一緒に未来に実現させたいから、だから投資/寄付をするのだ。今何かほしいわけではない。そのことを忘れてはいけない。
実は私も、過去にNPO法人の寄付担当者をしていたことがあった。NPOの代表が人の協力を得るのがうまかったので、私は一担当者として窓口にいれば良いだけの状態ではあったが、私自身は寄付集めがめちゃくちゃ下手だった。
今回、その理由がよくわかった。
私は、人が人を応援する気持ちをどこか信じていなかったのだろう。
寄付者の"相手への好意"や"ワクワクする気持ち"、"一緒に夢を見たい気持ち"を受け取るのが、苦手だったのだ。
そのお金は、一言でいえば愛だったから。
愛情不足で拗ねていた私は「いえいえ、私は何もいただかなくて全然大丈夫ですよ(にっこり)」というバリア満載だっただろう。簡単にいえば「嘘つけ、どうせ私のこと好きじゃないでしょ」というスタンスがあった。
そこから、たくさんの支援を受け取り、いろんなことがあって、私の内面はおかげさまで大変化したが、まだまだ「事業資金」ではなく「自分の食い扶持確保」の方は手薄になってしまう。
事業は応援してもらっていい。でも私の生活自体は応援してもらっちゃだめだ、きちんと(サービスや商品で)価値をしっかり提供して稼がねばならない。どこかにそんな線引きがあったことに気付かされた。
私が私として生きて活動している、それだけですでに価値があったということを思い出させてくれた。
過去に私が発信したことを読んでもらったり、お話をしていたり、その中で、私という人間に応援する、愛情を渡す価値を見出してくれていた。
人に信じてお金を渡せる、人を信頼できる力を持っているひとは本当にすごい。特にすぐに見返りを期待できるかわからない相手に渡す場合。その相手を信頼しているだけではない、自分という枠を超えた、世界を信頼しているのだと思う。
そんな愛情をもらったら、どうしたって突き動かされる。
余裕がなくなりかけていた心にも、愛が溢れる。
私はこのまま進んでいく。私のことももっと幸せにしたいし、周りの人も一緒に幸せになりたい。
愛の波紋は止まらない。止められないのだ。
ゆいさん。支えてくれて本当にありがとう。
人間には、なにかを成し遂げたい人と、そういう人を応援したい人がいる。自分にはなすべきことは特別にはなくても、誰かの夢を後押ししたい人がいる。彼らに訴えかけることができて、熱意をわかってもらって、ビジョンを明確に提示できて、初めて寄付を募ることができる。「一肌脱ぎたい人」は実はとてもたくさんいるのだ。一見、夢追い人が注目されがちで見落とされてしまうのだが、応援することに意義を見出す人は非常に多い。私は数年間の仕事で、このことを身体で学んできた。
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今の私は、天然石のアクセサリー、ひかりのいしむろの仕事で原材料となる石をある程度買い込んで、いただいたオーダーメイド依頼に全力で答えている状況です。今は始めたばかりで、いただくお金と出て行くお金のほうがずっと多いです。ただ、手を抜くことはせず、3月までは値段を上げることも下げることもなく、ここでサービスの内容、価値、自分でしっかり見定めて作ることが大事だと思っています。
ひかりのいしむろの仕事には、とても価値があります。見えないものを信じて、人の未来を信じる仕事です。人間が人間であることをやめないように、本来の感覚を思い出せるよう、自分のことを信じられるように。石の力も借りながら、不確かなものをしっかり大事にしていきたいと思っています。
もし私を応援したいと思ってくれる人がいらっしゃったら、いつでもサポートは大歓迎です。事業と生活にしっかり活用させていただきます。
石や作品、オーダーメイドに魅力を感じていただけたら、オーダーメイドのご注文、既製品のご注文もぜひご検討ください。ギフト用のご注文もおすすめです。
SNSでのシェアやお友達にご紹介頂くのもとても嬉しいです。
それから、今もう一つあたらしいことを始めようとしています。どういう形になるかまだ整っていないのですが、2月中にはnoteに書きたいと思っています。こちらを読んでもらって、もしいいなと思っていただけたらそちらへ応援をいただくのも、とてもとてもありがたいです。(まだぼんやりすぎでごめんなさい)
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
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来週2/8(土)から、石と言葉のひかむろ賞vol1 愛の漣が始まります。私はこのテーマで投稿しないぞと思っていたのですが....あまりの出来事があったので、主催者特権を乱用して先に書かせていただきました。
このnoteを読んでくださったみなさん、ありがとうございました。みなさんの愛の漣のお話もぜひ聞かせてください。来週土曜を楽しみにしています。