読書記録:『史上最強の哲学入門』
史上最強の哲学入門/飲茶
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哲学に興味を持ったのは実はカウンセラーになると決意する前で、好きな同人作家さんがとても詩的な漫画(漫画で詩的というのは不思議かもしれないが表現するとしたら詩的としか言いようがない)を書かれるので、何を読んでらっしゃるのですかと尋ねたところ著名な詩人と哲学入門を挙げられたので購入していた。
ちなみにその作家さんがこの本を挙げられたのではなく哲学入門で検索したらこれが出てきて高評価だったので購入しただけである。これ中身は全然詩的じゃないよ。表紙からわかるだろうけども。
真理を追い求める者達
合計31人の哲学者が紹介されているこの本。31人もいたらこんがらがってわけわからなくなりそうだがとても読みやすかった。
プロタゴラス、ソクラテス、デカルト、ヒューム、カント、ヘーゲル、キルケゴール、サルトル、レヴィ=ストロース、デューイ、デリダ、レヴィナス、プラトン、アリストテレス、ホッブズ、ルソー、アダム・スミス、マルクス、エピクロス、イエス・キリスト、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、ニーチェ、ヘラクレイトス、パルメニデス、デモクリトス、ニュートン、バークリー、フッサール、ハイデガー、ソシュール
しかし何故真理などという目に見えないものを追い求めるのか。人間はつくづく目に見えないものが好きだなと思う。単にその動機は恐れなのかもしれないが。
基本的に哲学は前の偉大な人物の理論に反論することから始まる。ときには神という実在するかもわからないものの名を出してくる辺り、哲学とは本当に中二病な学問だなと思う(失礼)。
これは神のせいだ!→うちの神と違うぞ?!→人それぞれだ!→でも共通点がある!→生物事に異なる!→絶対的存在はいるはずだ!→人が自由にすれば結局良い方向へ行く!→いやそんなことはない!……
明確な研究対象があるわけでもなく科学的でないとされるこの学問が、魔術と違って現代まで学問として生き残ってきたのは非常に興味深い。何せ己の頭のみで考え研究し結論を出すのだ。結論を仮定して研究していく分野が多い科学分野とは大きく異なる。けれど人間は思考する生き物であり好奇心の尽きない生き物だ。例え真理とやらが明らかになったところでそこで哲学は終わらないだろう。またその真理は本当に真理なのか。一体何がそれを定めたのか等考え始めるに違いない。
今、時代は哲学を求めている
今、世間ではまったく働かないニートが社会問題になっていたり、生きるために必要な分しかバイトで稼がないという人種も増えつつある。それは決して、若者たちが堕落したわけでも、親のしつけが悪いわけでもない。彼らは、資本主義社会の成長が飽和状態に達したため「労働の価値を見失った」という新しい「歴史的な問題」に直面した世代の人類、新しい血族であり、のちの何百年後かの人間が、僕たちの時代を歴史として見た場合、「そりゃあ、そういうやつも出てくるに決まってるよ(笑)」と評するであろう、歴史的に必然の人種なのだ。
おそらく哲学に学歴は関係ない。学校の勉強など一種の脳トレでありそれが社会に出てから役立つかどうかなど人それぞれ。有名大学のブランドが通用するのも大学を出て僅かの間であり結局ブランドを活用して良い企業に入ったところで労働価値を見出せなければ虚しくなるだけである。ホワイトだろうとブラックだろうと自分の労働について疑問が湧いてきたらそれば哲学の始まりではないだろうか。
一つはっきりしていることは、みんなが安価な娯楽に満足し、「労働の価値」を見失ってしまったとしたら、新自由主義だろうと反・新自由主義だろうとうまくはいかないということだ。そのときには、新自由主義に代わる「新しい〇〇主義」を考え出さなくてはならない。
当然それは、この時代、今の時代を生きる僕たちの役目であるが、その使命を果たす可能性が特に高い人々がいる。経済システムを維持するためだけに働かされ続け、過剰労働で身体を壊してしまった人たち、もしくはそんな労働に生き甲斐を見いだせずついには心の病気になってしまった人たち、ワーキングプア、負け組、ニート。すなわち前時代の主義により生みだされた歴史的問題の渦中にいる人々。彼らは歴史の最先端を生きる人間であり、それゆえに彼らこそが「国家とは何か」「労働とは何か」「満足して幸福に生きるということはどういうことなのか」を真剣に哲学し、「新しい価値」をつくり出していかなければならない。そして、彼らから生み出された「新しい価値」が、将来、文化・政治・経済あらゆる分野でこれからの世界の舵をとっていくのだ。
アメリカでも若者の車離れが進み始めたと先日ニュースで言っていたが、事実、"昔は無かったものを手に入れられる"という意味での労働価値は下がっている。何せ親の世代が手に入れられる悦びを享受する世代であり、我々新時代の者達にとってそれらは”既にあって当然のもの”でしかない。初めから在るのが普通なのだから特に目新しさもない。憧れもない。それが自分にとって魅力的な対象となったもの以外については、必要だから購入するだけでそれ以上の価値はないのだ。
学問だってそうだ。そもそも大学自体の数が増え進学する者が多くなってきた今、学校側は学力の高い者達には目的がなくても大学へ行けとせっつくだけでその後の事など教えてくれはしない。生き甲斐だとか労働価値だとかなど教えてくれることもなくそのまま社会人になって働いて、”働けること自体が有難いこと”だと認識している上の世代との軋轢が生じて上の人達は若者の〇〇離れが深刻とか言い出す始末。こちらからすれば今や大学を出て働くことなど既に決まったレールでしかなく、ほぼオートマ化された人生を歩むだけになっていることに上の人達は気づいていない。そんな受動的な人生を送っている人々が生き甲斐だの楽しみだの見つけられることは少ないし、その機会を上は与えてくれはしないし、しかも上の世代では通用していたのだからと根性論を振りかざしてくる。やはり今革命のときではないだろうか。
しいて言うなら今の時代の者達は刹那主義な人が多い気がする。やりたいことやったしいつ死んでもいいかな。もしくはやりたいことないしいつ死んでもいいかな。そんなノリで生きている。何度も言っているが自己肯定感だの自己顕示欲だのという言葉が蔓延るようになってきたのは結局自分の価値がわからない人が増えたからで、自分の価値がわからない人間はわかっているようで実は他の人やモノの価値もわかっていない。皆あやふやな価値の中で生きているのだから自分の価値だってわからなくなって生きている意味を問い始めるのは自明の理ではないか。
では何故革命的な人物が未だに現れないのか。
自分の価値がわからないのだ。世界や国に影響を与えるかもわからない思考に価値なんて見いだせない。そもそも哲学する価値がわからない。だから考えない。自分の思想が世界を変えられるなんて思わない。
思考する意義すら奪った前時代の者達の罪は重い。でも彼らは罪の意識なんてない。何せ自分たちはそれが普通で、それでうまく生きてきたのだから。環境が変わった中で自分と同じ育て方を自分の子供にしたって環境に適応していないのだ。社会不適合者が溢れるのも当たり前だ。でも彼らはそれが理解できない。
それでも社会は徐々に、本当に徐々にだが変わりつつある。一部の行動力ある若者達によって、あるいは若者達の味方をしてくれる大人達によって。
思考で世界が変わるなら安いものではないか。高齢者が多い日本の国としての政策が高齢者贔屓になっているのを変えれられるのは若者だけ。まあ若者が滅びを望んでいるならばそれが日本の終焉だ。でもサブカルチャーにおいて世界に多大な影響を与える日本のコンテンツは好きなので、その点において日本には頑張ってほしい。環境を変えようとする理由なんてそんなので十分だ。自分が楽になりたいから。自分の好きなものが欲しいから。今までもそうして社会は変わってきた。だから我々が社会を変えるのは普通だ。そのために若者達が発信していく必要がある。哲学というと難しく思えてしまうが結局、若者としての意見を皆が発信すればいいだけのことである。そしたら頭の良い人がまとめてくれるはずなので。多分。
自分に価値がないと思っているそこの君。今の時代自分の価値は自分で決められるという事だ。大人達はその手段を教えてはくれない。何故なら大人達との時代よりも今の時代は多様化し過ぎて選択肢が多すぎるからだ。自分でもきっと自分の価値を見出せる選択肢を見つけるのに苦労するだろう。だからより多く情報を得るためアンテナを張れ。多様化しているということは昔よりも自由という事だ。人間自由過ぎると逆に何もしなくなる。まさに今その時代なのだ。何もしないのもいいが、好きなことを見つけると少しだけ人生楽しくなれるし生きる価値も見いだせる。少しだけでいいから動いてみないか。
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