鹿田、虫を撮る。4
ご無沙汰のnoteである。noteを放っておき夏を満喫していたというのなら良いところ、研修や、その報告をまとめるのに自由という貴重なる二文字を奪われてはせっせと蟻のように働いていた僕である。といいつつ夜な夜なモンハンをやっていた気もする。ビールもしこたま飲んだ。結果本当は大して忙しくなかった鹿田である。あ、研修と、その伝達研修があったのは本当である。
しかしその間の空いた時間に、虫撮りにもしっかりでかけていた。カメラも常に持ち歩くことにした。
今日はその溜まりに溜まった写真を貼り、振り返り、また確かにめくられてゆく夏のカレンダーの貴重性を再び噛み締めるとしよう。一時とも夏を無駄にしてはならない。虫汁を両の口角より緑色に垂らして、夏バカを極めるのだ。
さて今回出向いたのは、…といいつつもまあいつもと変わらぬ福島県郡山市の某公園たちである。明記したところで、虫を撮影していたのは僕くらいなので、近所の住民や県民にとってはさほど需要がないらしいので明記しない。別に明記してもいいのだけれど、某としておく。決して僕がぼーっとしているからではない。秘密の場所にするには散歩客が多すぎる。
そんな中規模公園である。
さてさてまずは夏の代名詞、カブトムシ。
カブトムシといえばコクワガタということで、コクワガタさんである。古い木の朽ちて空いた穴の中にじっと佇んでいた。僕は夜行虫なのだほっといてくれと言いたげな背中を無視して、まずは一匹と気持ちよく接写フラッシュを焚きながら写真に収めた。それにしても無気力である。
あの初めてであったときの感動とは、どこに消え去ったのだろう。僕はこいつを見た瞬間「またおまえか…」と無意識に発してしまった。こうして人とはおとなになっていくのである。慣れとは悲しい、しかし失われていく光りは、君のせいではなくて、僕のせいなのだ。
カビか、こういう樹液なのか知らぬが、兎に角ものすごい勢いで頭を突っ込んでは食事をされていたカナブン2匹である。コガネムシを見慣れているのでとても大きく見える。よくみると頭の形もかっこいい。
それにカナブンは益虫、コガネムシは害虫、フォルムが多少似てようと、悲しいかなそこには歴然とした差があるのだ。
ま、人からみたらっていう話だけなんだけれどね。それに別に花を育てていなければ畑もやっていない僕にとっては害虫でも益虫でも無いわけで。
しかし見慣れているから出会えても大して嬉しくない。ごめん、フォローできないよコガネムシ。しかしカナブンについて説明している文なのに、読み返してみればほぼほぼコガネムシの話ししているから、それで許してくれ。
さてこちらは木の割れ目に挟まっていた、多分コクワガタのメスと思われるお方。随分窮屈そうなので出してあげようかと思ったが、滑らかな外殻が滑って引っ張りだす事ができなかった。
そしてこの木の周辺に、カブトムシのオスの死骸が散らばって落ちていたのだが、なにか動物が食べたのだろうか?そう思って振り向くとベンチに深く帽子をかぶった30代くらいの細身の男性がいて、僕は勝手に色々妄想しては走って逃げた。
近くで蜂がぶんぶん飛ぼうが、少し避けてまた虫撮りを続ける僕だが、そんな蜂なんかよりあの散乱した甲虫の死骸が怖かった。真昼の悪夢である。しかし、実際はやはりなにか小動物や、鳥などが食べたのだろうと思うが。
真相はいかに。
こちらも立派なカブトムシだが、すでに事切れていた。
空気の冷めたところで、おちゃめなアキアカネを貼っておこう。名前は少し嫌だが、しかしこいつも立派に夏を生きている。いや、夏を楽しんでいる。みなさんみてくれこの笑顔、お調子者のアキアカネに違いない。
こちらは多分、トラカマキリの種類の、まだ幼体だろう。なかなか背中の模様がおしゃれで、成体もひと目見てみたいと思わせる。
こちらはアカハナカミキリ。これは林の中まで潜り込んで見つけたから、全体的に少しくらいが、接写のライトで立体的にカミキリを撮ることができた。偶然の産物ではあるが、鹿田イチオシの写真である。
だから昆虫写真家って夜によく写真を取るんだろうなと思った。ま、思っただけだけだから実際はどうだか知らない。
夏の虫はいきいきしている、その生命力をおすそ分けしてもらえる。本音を言えば今日なんてばかみたいに熱くて、エアコンのかかった部屋が快適すぎるけれど、やはり自然とはひとつの過ごす場所だなと思う。虫が嫌いな人でも、あの風、あの草いきれ、あの山の道、あの水たまり、あの花の群れ、あの木漏れ日、あの石、あの匂い、そんなものと一緒にいるだけで、何か心地よく感じるものはあるはず。過ごしやすい日はまた山に戻って、そこにいるだけで、やる気と言うか、生命力がみなぎる。鹿田は胸を張っておすすめしたい。
ではまたッ!