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命名、『夏ゲーム』!!

十六夜である。昨夜は凍結路との格闘に心身を摩耗し、すっかり空を見上げることなど忘れていた。今日は日中少しばかり陽がさし、気温も0度より上がったものだから大通りの雪はおおよそ溶けて、キラキラ輝く午後のコンクリート・ロードにしばし、夏を連想などしていた。凍結していない道路とはなんと走りやすいことか。帰り道にも余裕がもどり、コンビニに寄っては、体があたたまるとちょこさんに教えて頂いたホットココアを買い、一口飲んでは空を眺めていた。

と、ふとそのフロントガラス越しに、見た目にはわからぬ程に薄く欠けた、月と、目があったのである。

あ、鹿田です、よろしく。

そんでちょいと、適当に即興な詩を作っては呟いた。

いざ酔う

いざ酔う」なんて、これまた適当な題をつけてね。(言うまでもなく、なんともシンプルに十六夜と掛けた題だ)

僕の詩は、冬にぎこちなくて仕方ない。夏になればするすると軽やかに言葉の波が、ブラインドタッチのその速度さえ軽々と超えてもどかしく感じるほどなのに、冬となればまるでふわりふわり落ちる憎き雪のごとく、詰まりながら出てくる始末。だから僕は、冬にはそんなに詩を吐かない。もともと、Twitter自体も夏は暇さえありゃ、「夏だー!」「ビール!」「セミ!!」ともはや呟きならぬ雄叫びを上げるのだが、真っ白な無に染まった冬には僕の心まで凍りつき、感性は微動だにせず、事務的な呟きにとどまってしまう。なので、そんなの呟いても意味ないので自然と呟きは減る。

冬にフォローしてくれた人は、夏の鹿田の人の変わりようにさぞ驚き、さぞ引くことだろう!夏は始まった途端焦燥に駆られる。今年の夏を余すことなく悉く具体化し、感じた気持ちや思いをすべて記録するのだ。夏は悲しいかな1年に1度しかこない。その間に感じたすべてを記録せねばならない。そして神経もろ出しで開ききった感性で、夏の隅々までを網羅しなければならない。

その極限まで研ぎ澄まされた鹿田の夏のアンテナは毎年毎年より研ぎ澄まされ、年々夏を感じる時期が早まってきている。昨年など、3月下旬にはすでに夏を感知し、感涙を流した。その特殊スキルによって現在鹿田にとっての季節は、冬と夏の2極化している。ようするに、3月下旬~11月上旬までは夏である。11月下旬から3月上旬までが冬である。春と秋はいつの間にか消えたが、そんな四季の移ろいなど鹿田には必要ない。春に浮かれて桜の下飲み交うならすでに花より団子は証明されている、花はいらない。さっさと新緑と化し薫風を製造せよ!秋など食欲はそもそも敵であるし、読書なら僕はそもそも夏の図書館で読むことがベストであると結論づけている。芸術とて先程話したとおり、鹿田にとっては夏こそがベストな環境なのである!わかったか!

はあはあ…ゴクッ、少しビールを飲んでなつ、否、熱を冷ます。

ああ、夏の詩がかきたいなあ、冬に書く夏の詩もいいのだが、やはりそれも冬の影響を大いに受けぎこちなくなる。いつだかも話たが、僕は以前Twitterのサブ垢で「夏の詩コレクター」というものをやっていた。全ては己の為、夏の素敵な詩や、写真をRTの権化と化しては猛烈なスピードで検索し、RTを繰り返していた。そのせいで毎年夏の間だけ、利き手の右手親指にタコができていたくらいである。…少し盛ったが。

だがしかし悲しいかな、数年前のアップデートで、サブ垢の仕様が変わり、パスワードを忘れた鹿田は結局それを放置せざるを得なくなった。今でも2019 夏 で時間が止まった夏の詩コレクターは、Twitter上の過去の電子の海を彷徨っている。


今年の夏はどうなるだろうか。不安の予感しかしない現実だけれど、僕はそれに負けたくないと思うのだ。

楽しむために試行錯誤を繰り返し、新たな価値観の下、今年の夏もまた心から楽しんでやりたい。それだけが僕の生きる意義でもある。

それは、ビール祭りがなくとも。桐生八木節がなくとも。いつかまた行ければいい。僕はその間に、同等の、否それ以上の夏の新たな風物詩を見つけ出してやろうじゃないか。それを『夏ゲーム』と名付けて。

十六夜となり視認できない影をもつ月のやつも、それでいいんだ、とうなずいているし。そういや、小惑星、よかったね。月、またお前が引き寄せて、地球から離してくれたんだろ。いやいや隠さなくともお前のその顔がすべてを物語ってるよ、いくか?今日もいっちゃうか?

てなことで、飲みに行くみたいなので、ここで終わらせていただく。

またね。

素敵な夜を!




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