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超高齢社会こそ60歳を天寿として生きる ─健康長寿とピンピンコロリの果て

月刊『日本歯科評論』では歯科界のオピニオンリーダーに時評をご執筆いただく「HYORON FORUM」というコーナーを設け,コラムを掲載しています. 本記事では11月号に掲載した「超高齢社会こそ60歳を天寿として生きる ―健康長寿とピンピンコロリの果て」を全文公開いたします(編集部)

植田耕一郎
日本大学歯学部 摂食機能療法学講座 教授

21世紀の新たな健康観の構築

平均寿命が60歳台であった1960年から70年代にかけては,「老後の生活に2,000万円が必要です」と2019年に金融庁が発したような警告は一切ありませんでした.1972年に有吉佐和子著『恍惚の人』が世に出て,初めて認知症(当時は痴呆と言われていました)が公に知られるところとなりました.当時は,今ほど長くはなかった老後に,経済的にも健康的にもさほど不安を感じる必要はなかったのです.

長寿になればなるほど,老後不安は増長されていきました.そこで,「健康長寿」が唱えられるようになります.さらに長寿の先にはピンピンコロリです.「実際の年齢よりも若くみえる」「五体満足で検査値はいつも正常値である」ことが健康として崇められています.しかし,90年,100年と生きるのであれば,いつかは杖が必要となり,やがて歩行が困難で車椅子利用となり,さらに座ることも困難でベッド上の生活となっていく……これがほぼ一般的な人生の道筋であろうかと思います.

余生期間に,ひとたび杖や車椅子を利用せざるを得ない身になると,二度と健康にはなれないのでしょうか.長寿とは,果たして何歳まで生きたらよいのでしょう.100歳まで生きて,亡くなる前日まで介護不要の自立人生を送るといったイメージを,今後も超高齢社会の中で追い続けるのでしょうか.もしそれが,達成できたとして,おそらく今度は「120歳まで健康長寿」の標語が生まれることでしょう.これでは際限がありません.
21世紀,世界に先駆けて超高齢社会となった日本独自の健康観の構築が望まれます.

20211029_HYORON FORUM_図

介護感の醸成

は,20年前に筆者が新潟大学に勤めていた時に訪問診療を担当した方です.脳梗塞を発症して3年間の在宅療養をされた後,自宅で看取られました.亡くなられた後,奥様がわざわざ勤務先の歯科病院まで訪ねてご挨拶してくださいました.「私たち夫婦にとって,この3年間がもっとも夫婦らしい時間でした.いろいろな話ができましたから」とおっしゃっていました.介護というと,とかく暗い,つらいだけが前面に出されがちです.しかし,一瞬ではあるかもしれませんが,こうした笑顔や充足感に包まれる時もあります.この一瞬の積み重ねを,筆者は「介護感の醸成」と呼んでいます.

われわれ歯科医療従事者の役割に,こうした介護感の醸成への支援があると思います.
ピンピンゴロリではいけないのでしょうか.このゴロリの期間は,お互い心の底を伝え合う無二の時間です.そして死にゆく者が生き残る者に,「死とはこういうものだ」と知らしめる最後の勤めのように思えるのです.

先述した奥様は「主人と同じお墓に入りたいんです」と帰り際におっしゃいました.介護感を醸成させ,たどり着いた奥様の心情です.男心として,このご主人はあっぱれだと思いました.よくぞ,妻にここまでのせりふを言わせたなと,男冥利に尽きるのではないでしょうか.

60歳の流儀

生物学的に,人が生きられる年数は50年,長くて60年なのだそうです*1.それ以上生きられるのは,暖冷房完備の生活,絶えることのない食材,たとえ口から食べられなくても胃瘻などといった環境が寿命を60歳以上にしました.実際にそのような環境の整っていない国では,平均寿命が40歳台であったりします. とするなら,寿命を超えたところの60年以上は,生きるうえでのご褒美なので,インフルエンザや流行りの新型コロナウイルスも含めて,この先何が起ころうと,天命,天寿としたいのです.

これからも,震災,天災,感染症は繰り返されていくことでしょう.どのような事態であっても犠牲にしてならないのは,子供や若者だと思います.未来を生きる彼らが,大声で笑えるように,身命を賭して尽くすことが,60歳を過ぎた者の流儀であろうかと思うのです.

失われた寛容さ

日本は,超高齢社会を達成しているのです.にもかかわらず,死に対してなおさら不寛容になっている時世に,違和感を持たずにはいられません*2*3.

震災,天災,感染症,それこそ寿命までも人災に置き換えながら責任問題に発展させ,社会問題にしてしまう文化に,いつから日本はなってしまったのでしょう.「諦める」のではありません.「仕方がない」と受け入れて天寿とする寛容な文化が,日本にはあったはずです.

ワクチンや特効薬の開発も大事ではありましょうが,その前に健康観,死生観としての議論がなされない限り,昨今の騒動は収まらないように思えます.情報過多にあって,劇場型に仕立てられた報道に煽られることなく,自分が実際に見て,触れたもので判断をする,そうした穏やかな生活が基軸になろうかと思います.

第39回日本顎咬合学会学術大会の公開フォーラムの発表を機に,本稿の執筆依頼を頂戴しました.

文 献
*1 本川達雄:ゾウの時間ネズミの時間〜サイズの生物学〜.中央公論社,東京,1992.
*2 植田耕一郎:長生きは「唾液」で決まる!.講談社,東京,2014.
*3 瀬田裕平:命のワンスプーン.彩流社,東京,2021.


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