神社に行こう。お願い事に慣れよう。
―機会を作るためには、シンプルに「お願い」してみることが大事だと思っていて。しかし我々日本人、「なるべく人には頼らない」「自分で解決せよ」という価値観がねじ曲がって、お願いすること=弱い面をさらけ出すこと、のようになっている気がします。そこで、「お願い慣れする」ために神社に行こう、というのが今回のお話。
僕が暮らしている高松市木太町という街にも、小さな小さな八坂神社があります。『うどんの国の金色毛鞠』というアニメ作品に、チラッと登場しているようです。
近所なので、初詣は立派な神社じゃなくここで済ませることが多く(立派な神社は人がごった返してますからね)、甘酒をもらって、お参りして、というふうに使ってきました。子どもの頃から。
先代の犬も今の犬も、お正月だけは母親と3人(一匹+二人?)連れ立って、八坂神社へ行っています。犬は願い事をするんでしょうかね。
愛着がある場所なので、ここ半年ほどは普段も行くようになりました。神様というものを本気で信じているわけではありませんが、願掛けという行為を通して、自分自身に暗示をかけている面が強いです。
八坂神社に通い出すまでは、「自分のために人にお願いをする」ということをほとんどやってこなかったと思います。仕事上のお願いやお金を払って物事を依頼するのではなく、自分のためのお願いです。
当然、若い頃は神様にお願いするなんて、やってきていません。「こんなので叶うわけないっしょ」とたかを括っていたし、冒頭で書いた「なるべく人には頼らない」「自分で解決せよ」といった世の中的な価値観によって「自分一人でなんとかできる」と思い込んでいたんですねー。
13年ぶりに地元にUターンしてきて…こんな住宅街にポツンとあるのに、威厳がある場所だったんだなと気づきがあってから、よく通うようになりました。ちょっとお参りして、ベンチに座って、セブンイレブンで買ったコーヒーを飲みます。
自分の目標が叶うことを、素直に・具体的にお願いします。目標実現のために、こんな縁をつなぎたい。まずこんなことを実現させたい。この人と仕事がしたいー。(自分本位なお願いではないですよ)
そんなことを続けていたら、明らかに以前より、人にお願いをする機会が増えました。拒絶が怖いといった感情は薄まりましたし、神様という偶像を前にして、「人に頼らないで生きていけるなんておこがましい」と思えるようになった。と思います(笑)。
お願いから仕事や出会いにつながることが増え、お願いしたからには全力で自分ができることで返す。善の循環ができつつあります。
「あ、お願いってしてもいいんだね」
もちろん、「神がかった力が働いた」とかそういうふうに思っているわけではないですが、お願い事に慣れるという意味で、神社に行くという習慣はプラスに働いております。実証済みでございます。
「人は一人では生きていけない」とはよく言ったもので、お願いによって人や機会を結ばないと、今手にしたい目標・願望を手繰り寄せることは難しいです。素直に・具体的にお願いしてみるという当たり前を当たり前にするために、神社を活用してみてはいかがでしょうか。
お願い事に慣れるために。
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