今あるものでなんとかする大正メンタリティ
祖父が101歳を迎えました。つい先日のことです。
101歳といえば1922年生まれ、大正11年。この年にはアインシュタインが来日したり、年末に旧ソビエトが成立したりしています。果てしなく昔すぎて想像もつきません。
祖父の時代と私たちが生きる現代との決定的な違いとして、月並みですが
ものがあって当たり前ではなく、なくて当たり前
ということが挙げられます。
僕は両親が共働きだったため、小さな頃は朝から晩まで祖父母の家で過ごしました。
当時の僕は非常にめんどうくさい存在だったのでしょう。思い返すに「あれが欲しい、これが欲しい」という物欲の塊だったようです。
そんな僕に対し、祖父は僕が「飛行機が欲しい」といえば、廃材などを使って飛行機のおもちゃを仕立ててしまうのです。
どんな形だったか鮮明に思い出すことはもうできませんが、1つだけくっきりと覚えていることがあります。
それは、飛行機の先端に、たぶん当時、駄菓子屋などで売っていたプラスチックのコマを差し込んでいたこと。このコマ1つのおかげで、木材でできたずんぐりとしたボディがシャープな印象になりました。
単純な僕はそれだけで目を輝かせて、先っぽがコマの飛行機で四六時中遊びました。
(本心はどう思っていたか分かりませんが笑)孫を楽しませるために「今あるものでなんとかする」という発想には、今もって学ばされることがあります。
僕が小さな頃はいわゆるバブルが弾ける前夜だったので、ものに困る時代ではなかったでしょう。そんな時代においても「なくて当たり前」というメンタリティを発揮していた祖父には頭が下がる想いです。
ちなみに、祖父と10歳離れた祖母も「今あるものでなんとかする」権威です。
僕が小学生の頃だったか、「星のカービィ」というゲームが流行っていました。おそらく同級生の誰かがそのカービィのキャラクターグッズを見せびらかしていたのでしょう。
例によって僕は小学生になっても、祖父母に「カービィが欲しい」というわけです笑。
駄々をこねる私に祖母が手芸でつくって見せたのが、フェルトの端切れと綿でつくったカービィ。これまた今思い出してもよくできていて、ランドセルのサイドフックにキーホルダーのように引っかけて、ウキウキ気分で登下校していました。
当然、クラスのみんなから「それなに??」という声をかけられて僕はヒーローにww。
それ以来、週末に祖父母宅に遊びに行くたびに「ばあちゃん、カービィ!」といって祖母にカービィを大量生産させました。(いったいどれくらいつくってもらったのだろう…)
「自由は不自由である」とはよくいったもので、選択肢が多いほど人は考えを収束できなくなりがちです。
むしろ「資源がない」など制限やルールがあったほうが、その中で考えを発散し創意工夫をしようとします。
アップサイクルという言葉が世の中に浸透してきているように、僕たちが無価値だと思い込んでいるものも、「今あるものでなんとかする」というメンタリティを持ち込めば、別の付加価値に変わるのではないか?
孫というめんどうくさい存在に対し、駄菓子屋のコマとフェルトの端切れでなんとかしてしまったように。
祖父の1世紀と、その3分の1程度しか生きていない自分を重ね合わせて、そんなことを考えました。
おしまい