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『007』の銃口の中のジェームズ・ボンドを作ったデザイナー “モーリス・ビンダー”

ビジネスに使えるデザインの話

ビジネスにデザインの知識はけっこう使えます。苦手な人も多いから1つ知るだけでもその分アドバンテージになることもあります。noteは毎日午前7時に更新しています


『007』といえば、思い浮かべるのはあの音楽。そして……

『007』といえば、イギリスの小説家、イアン・フレミング氏の小説を原作とした60年以上続く映画シリーズ。最初の『007』は『Dr. No』。この映画からまず想起するのは、あの曲でしょう。作曲したのは、モンティ・ノーマン(Monty Norman)とジョン・バリー(John Barry)。

ジョン・バリー(John Barry)(1933–2011)
source: BFI
モンティ・ノーマン(Monty Norman)氏
source: The Guardian

音楽についても深堀りしたいところですが、今回はこのテーマ曲ではなく、別の部分。『007』といえば、この音楽ともうひとつ、銃口の中ジェームズ・ボンドが現れるオープニングシーンです。これを英語では、Gun Barrel Sequenceと呼んでいます。Squenceは「シーケンス」で「シーンが集まって、ひとつにまとまったもの」を意味しています。

銃口シーケンス(Gun Barrel sequence)

引用:『007』SkyfallのGun Barrel Sequence

今回は、このシーケンスも含めて作ったデザイナー、モーリス・ビンダー氏による『007』のオープニングが誕生とそのデザインについてお話していきます。『007』の始まりは『Dr. No』(1962)でした。

始まりは『Dr. No』 

『007』シリーズの始まりは1962年公開の『Dr. No』
主人公はショーン・コネリー。
画像引用:Amazon Prime Video

『007』シリーズの始まりは、『Dr. No』で1962年の公開です。監督は、テレンス・ヤング氏。ジェームズ・ボンドは、ショーン・コネリー氏が演じていました。(ちょっとおもしろいことにテレンス・ヤング氏が監督した映画に『No Time to Die』という『007』シリーズではない映画があるんです。1958年公開で、第二次世界大戦における英国軍のなかのアメリカ人軍曹を描いた映画です。

『No Time to Die』(1958)

 話を『007 Dr. No』に戻すと、この映画、60年も前の映画なのにオープニングがかなりおしゃれなんです。おしゃれなだけじゃなくって、その後、2021年の『No Time To Die』まで25本も続く『007』シリーズで継承されていく、あるお決まりもこの第一作目で誕生しています。それが銃口シーケンスです。これをデザインしたのが、モーリス・ビンダー氏です。ビンダー氏は、タイトルのみならず、オープニングやこの銃口シーケンスも企画、デザインしました。


source: Watch the Titles!
source: Watch the Titles!
source: Watch the Titles!
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50年代は映画デザインの黎明期

1950年代半ばごろ、映画は、テレビというライバルが誕生した時代で、競合ができてしまったために、映画はプロモーションのあり方を見直す必要に迫られた時代でした。それまで、映画はタイトルデザインにこだわることもなく、ポスターも広告も、タイトルもみなバラバラでした。そんなときにデザイナーのソール・バス(Saul Bass)は、オットー・プレミガー監督作品にモダンなデザインを提供しました。

ソール・バスがデザインしたオットー・プレミガー監督の映画『黄金の腕を持つ男』(1955)のポスター
source: ruxirusu.medium.com

ソール・バスより5歳年下のモーリス・ビンダー氏は、ユニバーサルやコロンビアで10年以上、映画の宣伝やデザインに携わっていました。ビンダー氏は、タイトル、予告編、印刷キャンペーンなどの戦略とデザインをトータルに提供することができました。

50年代は、アメリカは、ヨーロッパのモダニズムの影響を強く受けていました。(モダニスムについてはこちらで詳しく書いています。)ビンダー氏は、何百冊もの美術カタログを所有し、マティスやピカソの作品を含む近世美術の素晴らしいコレクションを持っていたと言われています(ピカソやマティスもモダニスムに含まれる芸術運動の渦中にいました)。モダニズムの芸術やデザインの幾何学的、抽象的な模様(アール・デコの流れも汲んでいます)は、ジャズを聴き、ポップアートを好む進歩的なサブカルチャーに与していたアメリカの若者たちに強く影響を及ぼしました。こうしたダイナミズムが、映画やデザインに強く反映していました。

モダニズムの(機能と新素材を使ってミニマルにデザインしていく)スタイルは、アメリカのプロダクトデザイン、広告、グラフィックデザイン、建築に転用され、1950年代に映画やテレビの分野で活躍するデザイナーにも影響を与えました。

モダニズムの影響が見られる、フランク・ロイド・ライトによるソロモン・グッゲンハイム美術館(1946-1959)
Jean-Christophe BENOIST - 投稿者自身による著作物, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19322217による

ヨーロッパの機能主義的なモダニズムは、アメリカにきて、より実用的(プラグマティック)なものとして機能しました。映画を散漫的に宣伝するのではなく、ひとつのスタイリッシュでモダンな視覚的メタファーに還元することで、効果的に映画を宣伝することに成功しました。ソール・バス氏が『The Man with the Golden Arm』(上記)のために作ったポスターの「腕」は、映画のロゴのような役割を果たしました。こうして、消費者は、この映画を想起するとき、または想起されるものとしてこのロゴ的腕のイラストを認知するようになりました。

モーリス・ビンダー

モーリス・ビンダー氏(1918−1991)
source: Art of the Title

モーリス・ビンダー氏は、1918年のニューヨク生まれ。第二次世界大戦に従軍後、アメリカ西海岸に移り、映画宣伝の仕事に従事するようになりました。1950年代後半には、コロンビア映画の西海岸宣伝部を統括した。また、スタンリー・ドーネン監督と仕事をするようになり、『The Grass is Greener』(1960)、『Surprise Package』(1960)、『Charade』(1963)、『アラベスク』(1966)などの優れたタイトルシークエンスのデザインを担当しました。そして『Dr. No』を含めて16本のジェームズ・ボンド映画のタイトルをデザインしてきました。

『007』シリーズの始まりに、ビンダー氏を起用

1960年代の初め、カナダのプロデューサー、ハリー・サルツマン(Harry Salzman)とアメリカのプロデューサー、アルバート・R・ブロッコリ(Albert R. Broccoli)は、イアン・フレミング氏のスパイ小説を映画化するためにパートナーシップを結んでいました。フレミング氏は、ジェームズ・ボンドというキャラクターでかなりの数の小説を書いており、ヨーロッパやアメリカで成功を収めていました。2人のプロデューサーは、興行的なヒットと続編の可能性を見いだし、映画のプロモーションを非常に重要視していました。二人はすでに、フレミング氏の小説の親しみやすさと、ジャマイカでの撮影中に撮られた初代ボンドガールのウルスラ・アンドレス(Ursula Andress)氏の魅力的なビキニ姿の写真を宣伝の中心に据えることを決めていました。

初代ボンドガールのウルスラ・アンドレス(Ursula Andress)
source: Ursula Andress' iconic 'Dr. No' bikini could fetch $500K at auction

サルツマン氏とブロッコリ氏は、モーリス・ビンダー氏がデザインしたドーネン監督の『The Grass is Greener』(1960年)のタイトルを見た翌日、『Dr. No』のタイトルをビンダー氏に依頼しました。

『The Grass is Greener』のタイトル(1960)
source: Art of the Title

ビンダー氏のウィットに富んだ、赤ちゃんがクレジットと対話する愛らしいシーケンス は二人にビンダー氏の才能が必要だと確信させました。動画はこちらで観ることができます。


銃口シーケンス


最新の『007』でもオープニングに登場するのがモーリス・ビンダー氏が考案した「銃口シーケンス」です。このシーケンスは、水平線上の白い点の点滅で始まり、最初のクレジット「Harry Saltzman & Albert R. Broccoli present」と二人のプロデューサーの名前が表示されます。謎めいた奇妙な電子音(後のシークエンスでは省略)は、何か怖いハイテクなことが起こっているのかもしれないと観客に思わせます。そして実際、悪役のドクター・ノーは、原子力の無線ビームでロケットの打ち上げを妨害しようと企んでいるという内容でした。白い点はやがて銃身の先端になります。

1991年に亡くなる直前のビンダー氏のインタビューによると、このタイトルシークエンスの部分は、サルツマンとブロッコリへのプレゼンの締め切り間際にできたそうです(※1)ビンダー氏は、弾痕を表現した一般的な白い丸い値札のシール(日本人には想像がつきませんが)を見つけてからひらめいたそうです。

ビンダー氏は、実際の銃身の内部を撮影したピンホール写真を使用し、それを撮影して円形に抜き、その中をボンドが歩き、指差して撃つショットを見せるシーケンスにしました。すぐにスクリーンには血が流れ、銃身が揺れ、暗殺者が倒れれます。

この銃口シーケンスは、導入部としての役割を果たすと同時に、ボンドが見せる無慈悲な一面を観客に事前に知らせるための免罪符のようなものでもあります。この『007』のキャラクター、ジェームズ・ボンドは、相手が武装していなくても躊躇なく殺す、ライセンスを持った無慈悲な、新しいヒーローでした。それをこのシーケンスを使ってビンダー氏は観客に対して「予告」しているわけです。

『Dr. No』の銃口シークエンスの興味深い点は、登場するのが、ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーではなく、スタントマンのボブ・シモンズであるという点です。シモンズは、コネリーとは似ても似つかないのですが、ディナージャケットと銃があれば、すなわち「ジェームズ・ボンド」として機能しているわけです。
これに似て、銃口シーケンスは、もうそれだけで『007』の始まりを意味する記号になっています。ソール・バス氏がデザインした『The Man with the Golden Arm』の腕以上に、アイコンとなり、記号となっているわけです。おそらく、この銃口シーケンスは、世界でもっとも認知度の高いモーションデザイン作品のひとつでしょう。

アニメーション・ドット

ショットの音の後、ジェームズ・ボンドのテーマが流れ始めます。白いドットが赤くなり、他の色や小さなドットが現れます。ドットは音楽と同じテンポで点滅し、色や位置を変え、パターンを形成していきます。

このドットは、ビンダー氏が銃身のシークエンスを作るきっかけとなった、あの(想像しづらい)価格シールからインスピレーションを得たモチーフから来ています。このドットは、銃や暴力とはほとんど関係がなく、鮮やかな色彩とリズミカルなアニメーション、そしてグリッドで構成されており、このオープニングの動画は、モダンなデザイン、サイケデリックなポップアート、都市のナイトライフなどを示唆しています。またDr. Noのハイテクな原子炉の秘密の隠れ家をも示唆したものと捉えることもできます。

オープニングのアニメーションは、赤い点がフェードアウトすると、今度は、黒い画面に赤いシルエットの女性が踊っている姿に変わります。ラベンダー色、オレンジ色の踊り狂うシルエットが次々と現れてきます。流れる音楽で踊っている人々は、どうやらジャマイカにいるらしいことを予感させます。童謡「3匹の盲目のネズミ」をカリプソに編曲したものが流れ始め、曲に合わせるようにして3人の盲目の老人たちのシルエットがコミカルに動くシーンに変わります。

ダンサーたちのシルエットが示唆するもの

ドットアニメーションからダンサーのシルエットへの移り変わりは、けっこう唐突なものとして目に写りますが、単色を使用することでドットからシルエットへの流れに一貫性が形成されています。そして「なぜ」ダンサーが現れるのかというと、『007』という映画が含むセクシーなニュアンスを示唆するためでした。ダンサーたちのシルエットのどこにフォーカスされているのかというと腰の動きでした。「ボンドガール」という言葉は、特定の女性ではなく、セクシーなニュアンスを持ったアイコン的なものです(実はルパン三世の峰不二子もこれに近いものでした。)

3匹の盲目のネズミ(THREE BLIND MICE)

source: Watch the Titles!

ダンサーたちのシルエットがフェードアウトすると、もうひとつのカリプソの歌に合わせたシーンに変わり、3人の盲目の老乞食が、片手にステッキ、もう片手にお金の入った缶を持ち、スクリーンを横切って歩いていくシルエットが映し出されます。(背景には、ピート・モンドリアンの「コンポジション」に似た白、赤、青、黄色のパターンが流れます。)この歌は童謡の「三匹の盲目のねずみ」をベースに、映画に合わせて改変されたものです。

ピート・モンドリアン「コンポジション」

この老人たちは、実は映画のなかで英国諜報部員を暗殺する存在。『007』の暴力とセクシーさを銃口シーケンスとダンサーたちのシルエットで示唆したあと、シルエットつながりで映画の登場キャラクターをみせ、示唆とストーリーをDJのように流れるようにつないでいます。

精神分裂病的なシーケンス

振り返ってみると、この『Dr. No』のオープニングは、けっこう強引に関連のないものをつなげています。銃口シーケンスで撃たれて倒れたら、モダンジャズクラブのようなシルエットになり、それが今度はカリプソと三人の盲目の老人の姿になっていきます。

この脈略のなさは、実はジェームズ・ボンドのサイコパス的なキャラクターを示唆した文脈でもあります。(初期の)ジェームズ・ボンドは、丸腰の悪役を撃ちながら気の利いた冗談を言い、タキシードを着て汚い争いをし、女性を殴ったり、抱いたりします。まさに分裂症的なキャラクターです。実は、ジェームズ・ボンドというキャラクターの魅力は、この曖昧な部分にあります。ボンドはヒーローでありながら、サディストであり、女嫌いであり、快楽主義者です。ビンダー氏は、このボンドの両義性をオープニングシーケンスで視覚化しようとしていたわけです。観客がなんとなく見ていたものが、実は『Dr.No』に含まれる危険、死、快楽、性などをとてもスタイリッシュに示唆したもので、冒頭で観客を『007』の世界へいざなう作りになっていました。

まとめ

いかがでしょうか。1962年にデザイナーのモーリス・ビンダー氏によって作られた『007 Dr. No』のオープニングは、見た目以上に多くのものを示唆し、そして『007』シリーズのロゴ的な記号にまでなるほどのものでした。時代が変わり、それに合わせて内容や見せ方が変わっていくのに、銃口シーケンスとテーマ曲は変わらない。これはブランディングの成功例としてみることもできるし、いくらでも展開できるほどのイアン・フレミングの原作の力があってのものとも観ることができるでしょう。しかし単純化すると、なにはともあれ、銃口シーケンスの誕生には、モーリス・ビンダーという偉大な父親が居たことを知ってもらえると嬉しく思います。


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参照






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