モダニズムの時代に独自の温かみのあるデザインをしたイタリアの建築家「ジオ・ポンティ」
『建築と家具のデザイン』マガジン
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ジオ・ポンティ
ジオ・ポンティ(Gio Ponti, 1891–1979)は、イタリアの建築家、インダストリアルデザイナー、家具デザイナー。建築・デザイン雑誌『Domus』を創刊しています。雑誌『domus』は1928年に創刊され、21世紀の現在まで刊行が続いています。建築およびデザインの分野で世界的に著名な雑誌であり、同分野に対して大きな影響を与え続けています。表紙もヘルベルト・バイヤー、ハーバート・マター、ポール・ランド、マックス・ビル、パウル・クレー、ルーチョ・フォンタナ、ル・コルビュジエ、チャールズ・イームズ、ミルトン・グレイザーなどが手がけています。
ジオは通称で、本名はジョヴァンニ(Giovanni)。ジオ・ポンティは、1891年、ミラノに父エンリコ・ポンティと母ジョヴァンナ・リゴーネの間に生まれました。ジオ・ポンティは、前線で戦い、軍人勲章を受けた後、第一次大戦終了時にミラノ工科大学建築学科を卒業。1921年(30歳)にジュリア・ヴィメルカーティと結婚し、4人の子供;リサ、ジョヴァンナ、レティシア、ジュリオをもうけます。1927年(36歳)に建築家エミリオ・ランチアと共にミラノにスタジオを開設。
1923年(32歳)から1930年(39歳)にかけて7年間、イタリアの陶磁器メーカー、リチャード・ジノリ(Richard-Ginori、現在はGinori 1735 )でアートディレクターを務めています。
1928年(37歳)にジャンニ・マッツォッキと共に雑誌『Domus』(ドムス)を創刊し、初代編集長を務めました。
1933年(42歳)にはFontana Arteのアートディレクターに就任し、Richard-Ginoriに続いて成功しています。この年にアントニオ・フォルナローリ、エウジェニオ・ソンチーニと親しくなり、その親交は1945年まで続きました。
1961年(70歳)から1963年(72歳)にかけ、ミラノ工科大学建築学部教授を務めています。
1979年9月15日、ミラノ市内の自宅にて死去。享年87歳。
ジオ・ポンティは、60年にわたるキャリアの中で、イタリア国内および世界に100以上の建物を建設してきました。
代表作は、1956年から60年にかけてミラノでエンジニアのピエル・ルイジ・ネルヴィと共同で建設したピレリ・タワー(Pirelli Tower)、カラカスのプランチャート邸、1957年にカッシーナが製作したスーパーレジェーラ・チェアなど。
ポンティは、モダン建築が特徴としていた抽象的な箱形の空間構成とはベクトルが異なり、より豊かで味わいのある建築をつくりあげたことで知られています。
建築
ピレリ・タワー(1956年)(ミラノ)
ピエール・ルイージ・ネルヴィと共同
リットリア塔 (1933年)(ミラノ)
リットリア塔 (現ブランカ塔(Torre Branca)は、イタリア・ミラノの主要な都市公園であるセンピオーネ公園内にある鉄製パノラマタワーで。高さは108.6mで、ウニクレディト・タワー(231m)、アリアンツ・タワー(209m)、ロンバルディア宮殿(161m)、ピレローネ(ピレリ塔)、ブレダ塔(116m)に次いでミラノで6番目に高い建造物となりました。塔の頂上はパノラマポイントになっており、晴れた日にはミラノの街並みだけでなく、アルプス山脈、アペニン山脈、ポー川流域の一部まで見渡すことができます。ファシスト時代の1933年、第5回ミラノ・トリエンナーレで落成した[1][2]。当初はファシオ・リトリオ、すなわちファシオから「トッレ・リトリア」と名付けられていました。第二次世界大戦後、「トッレ・デル・パルコ」(「公園の塔」)と改名されました。1972年、構造の修復が必要なため、塔の最上部へのアクセスは閉鎖。2002年、ブランカ社によって改築され、トッレ・ブランカと改名。2002年からは、再び一般公開されています。
ホテル・パルコ・デイ・プリンチピ(ソレント)(1962)
ホテル・パルコ・デイ・プリンチピのレセプションやレストランには、思わず触りたくなるような少し膨らんだ小石形のタイルが用いられています。人間に近いところにある内壁は、視覚だけでなく触覚をも楽しませるようにデザインされています。
デンバー美術館(アメリカ合衆国)(1971年)
家具
D.357.1(ブックシェルフ)(Molteni&C)
1956年(65歳)から1957年(66歳)にかけてデザインされたブックケース。ミラノのヴィア・デッツアにあるジオ・ポンティ私邸の家具のひとつ。
D.154.2(アームチェア)(Molteni&C)
ジオ・ポンティがカラカスのヴィラ・プランチャート(1953-57)のためにデザインしたアームチェア。ポンティが1952年から53年にかけてラテンアメリカを旅行していた期間中に集めたアイディアに基づいて作られました。堅牢なポリウレタンフレーム、ソフトなポリウレタンカウンターフレーム、クッションを持った、貝殻を思わせる心地よいアームチェア。
D.859.1(テーブル)(Molteni&C)
「D.859.1」は、当時10名用の会議テーブルとしてデザインされました。幅360㎝で構成されたこのテーブルの魅力は、大きさだけではなく、シンプルでありながら洗練されたデザインにあります。現代的な印象を与える脚部は、大きな台形型で先端が薄くなった天板を支えており、そこには空気力学を用いた吊り橋をヒントにデザインされています。
スーペルレッジェーラ(1951)
Bilia ミニ テーブルランプ ブルー(MoMA)(1932)
ジオ・ポンティ セラミックタイル パターン(MoMA)
食器
遠近法のベースH.29CM(ジノリ1735)
遠近法という名前からは、ジオ・ポンティの建築家としての素養がうかがえます。網状に配置されたそれぞれのマス目には、キリスト教の礼拝で用いられるチボリウムや盃、古代ギリシャのアンフォラ(ワインやオイルをいれる壷)などが配されています。
ジオ・ポンティ Conca(MoMA)
アシメントリーなシェイプは、日常生活に使うための機能性とオブジェクトとしてのキャラクター性が同居しています。このカトラリーセットは、1826年にイタリアで設立した老舗ブランド、サンボネ(Sambonet)から発売されたジオ・ポンティデザインのカトラリーシリーズです。
まとめ
ここまで読んで、見てきてくださっていれば体感されていると思うのですが、ジオ・ポンティ氏のデザイン、建築は、一貫して、奇妙な幾何学さがありつつ、とても有機的です。モダニズム建築は、ミース・ファン・デル・ローエ氏やフランク・ロイド・ライト氏、ル・コルビュジエ氏などに通底している「Less is more」な機能性とシンプルさがあります(フランク・ロイド・ライト氏はほか二人より装飾性が高いですが)。そんな時代のなかにおいて、要所要所でしっかりとモダニズム建築の要諦を取り入れながらも、ジオ・ポンティ氏はイタリア的な陽気さも含んだ有機さ、人間らしさを全面に出しています。
ジオ・ポンティ氏は、建築というものを外観するとき、地図のなかで書き記さないわけにはいかない重要なポイントになるような存在です。
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参照
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