“イタリア・ルネサンス“の始まりとジョットと『ジョジョの奇妙な冒険』
《週末アート》マガジン
いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。
ルネサンスってにゃに?
時期:13世紀終わり–16世紀半
地域:イタリア
ルネサンスって知っているけど、じゃあそれがいつからいつまでに興ったのか、画家に誰がいるのか、問われると「……中世ごろで、ミケランジェロとかダ・ヴィンチとか」くらいにとどまるぼやっとした記憶しかあがってこないかもしれません。まあまあちゃんと理解するには、情報量が膨大なんです、ルネサンス。ということでルネサンス4つの時代とその時代の代表的な画家を数人にしぼって「理解」を先行したルネサンスの話をしていきたいと思います。ルネサンスは4つの時代に分けられています。黎明期、初期、盛期そして最後にマニエリスム期です。
ルネサンスの区分
黎明期(1300-1400年)
ジョットがルネサンス絵画の始まり。
初期(1400-1475年)
透視図法(線遠近法)が導入されたのがルネサンス初期。
盛期(1475-1525年)
もっとも盛り上がっている時期で、この時期に活躍したのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ。
マニエリスム期(1525-1600年)
マニエリスムは「マンネリズム」の語源で本来は「手法」という意味。巨匠たちの完成された手法を如何に習得し再現するのかに注力した時期ですが、モノマネは誇張しないと魅力が生まれないため、この時期の絵画は歪んでいます。それが魅力にもなり後に再評価されていきます。
画家は、アンドレア・デル・サルト、ポントルモ、ティントレットたち。
ルネサンスはなぜフランス語?
ルネサンス(Renaissance)は、イタリア語ではなくフランス語です。「再生」「復活」などを意味した言葉です。なぜイタリアで興ったルネサンスがフランス語なのかというと、当時に自ら付けた名前ではなかったからです。その他の多くの芸術運動や時代区分は、それが過ぎ去ったあとに名付けられ、区分されています。ルネサンスも同様で、この名がつけられて、認知されたは19世紀になってから。フランスの歴史家ジュール・ミシュレ(Jules Michelet)氏が『フランス史』第7巻(1855年)に“Renaissance”という標題を付け、初めて学問的に使用しました。
ミシュレ氏に続き、スイスのヤーコプ・ブルクハルト(Jacob Christoph Burckhardt)氏による『イタリア・ルネサンスの文化』(Die Kultur der Renaissance in Italien、1860年)によって、「ルネサンス」という言葉は決定的に認知されるようになりました。
ルネサンス誕生の環境
フィレンツェのメディチ家が銀行を創設してすごく儲けて力をつけて政治にも強く関わっていくという存在になっていきました。このメディチ家が絶大なパトロンになって芸術が花開いたというのが(まさに百花絢爛!)ルネサンス誕生の環境です。それまで芸術家たちの重要なパトロンは教会や君主でした。しかしメディチ家のコジモ・デ・メディチ(1389年 - 1464年)が、新しいパトロンとして芸術家たちの活動を促進させていきました。パトロンのあり方が大きくかわったわけです。ところで世界で初めての図書館を作ったのは、このメディチ家です。
ルネサンスの始まり、羊飼いのジョット
ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone、1267-1337)は、フィレンツェ北部出身で羊飼いの少年でした(※2)。当時、フィレンツェを含むイタリア、トスカーナ地方では、チマブーエ(Cimabue)とドゥッチョ(Duccio)の二人が特に有名で画家でした。ふたりともビザンティン美術の影響を強く残した画家でした。羊飼いだったジョットは、チマブーエに弟子入り、後に当時を当時を代表するまでの画家になります。ジョットは、当時主流だったビザンティン絵画と一線を画す、写実的で三次元的な描写をしていました。描く人物は解剖学的な理解に基づいており、さらに人物が浮かべる表情は喜びや怒り、恥じらいなどさまざまな感情を豊かに浮かべて表現されていました。理知的、科学的な写実的描写と感情移入できるほどの感情表現の混在。ジョットが成した表現は、歴史を区分するほど偉大なものでした。
スクロヴェーニ礼拝堂(1305年)
スクロヴェーニ礼拝堂(Cappella degli Scrovegni)は、イタリアのパドヴァにある礼拝堂です。ジョット・ディ・ボンドーネ氏はこの礼拝堂に、西洋美術史上もっとも重要な作品友いわれる一連のフレスコ絵画を描いています(1305年)。
フレスコ絵画とは、壁画に使われる絵画技法のひとつです。フレスコは、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態、つまり生乾きであるあいだに、水または石灰水で溶いた顔料で描くというもの。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とします。一旦乾くと水に浸けても滲まないことで保存に適した方法です。しかし失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すことになります。フレスコ画はルネサンス期にも盛んに描かれ、ラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などもフレスコ画として有名です。
ジョット氏がスクロヴェーニ礼拝堂に描いたフレスコ絵画は、聖母マリアの生涯を描き、人類の救済におけるマリアの果たす役割を祝福するものでした。
『オンニサンティの聖母』(1310年頃)
『オンニサンティの聖母』(Madonna Ognissanti)は、ジョットが1310年頃に描いた絵画で、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。オンニサンティはこの絵画をささげた教会の名前。
ジョット氏は、絵画を二次元的にするビザンチン美術の多くの側面を破棄し、 『オンニサンティの聖母』において、聖母子と諸聖人の周囲の空間を三次元的に表現しています。
ジョットと『ジョジョの奇妙な冒険』
荒木飛呂彦氏によるシリーズ漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の第6部にセリフのなかで「ジョット」と出てきます。これがまたなかなかおもしろいので、詳しくはこちらの方の記事を参照ください。
ジョットそのものについては何も『ジョジョ』のなかで触れられないのですが、荒木飛呂彦氏は多くの西洋美術をモチーフにして漫画を描写しています。その対象は国も時代も幅広く、クリムト、エゴン・シーレ、マグリット、サルバドール・ダリから、さらにはジェフ・クーンズやダミアン・ハーストといった現代のアーティストの作品にまで及んでいます。いわゆる「ジョジョ立ち」とも呼ばれる奇妙なポーズは、ルネサンス後期のマニエリスムにみる歪みからの影響とも推測できます。このように実は『ジョジョの奇妙な冒険』は、かっこうの芸術を楽しむ材料を逆輸入的に提供してくれるという素敵な側面も持った漫画です。そしてこのおもしろさを解説している方が「るいこのゆるゆる美術」というYoutuberの動画です。美術手帖(2012年11g月号)でも荒木飛呂彦特集をしていましたが、それよりずっとわかりやすいです。
まとめ
お気づきかもしれませんが、ジョットが活躍した時代、まだメディチ家は台頭していません。ジョット・ディ・ボンドーネ氏は、既存の手法から一線を画して、絵画に3次元を取り入れ、絵画の時代をひとつ大きく前進させた存在でした。そしてジョットの影響を受けた弟子や他の画家たちがその技法や精神を育み続けて、それらが花開く環境を作ったのがメディチ家でした。
ちなみにスクロヴェーニ礼拝堂には1301年に出現したハレー彗星が描かれています。
『東方三博士の礼拝』の背後に大きな彗星が描かれています。再び地球に近づいたハレー彗星を観測するために欧州宇宙機関(ESA)によって打ち上げられた探査機には、ジョットと名付けられています。
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参照
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