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自分史的なクリッピング史料

昨日は西田敏行の訃報が大きく報じられた。個人的には大好きな俳優さんだった。そのバリエーションに富んだ才能は、なかなか引き継ぐものが出てはこないだろうとも思う。大河ドラマの「おんな太閤記」や「池中玄太80キロ」もよく観たし、「西遊記」もしかり。そして何と言っても「ドクターX」の蛭間医院長の役柄。劇中歌でもあった「唯一無二」(東帝医大の校歌?)はYou Tubeで今でも聴いたりしている。自分よりシニアな年代ではあるけれど、活躍の場が広かっただけに、本当に本当にその活躍ぶりをよく目にしていた。松崎しげるとの即興の歌唱も良かったなぁ。こうした故人の偉大なる業績を新聞紙上で追いかけることも結構振り返りになったりして。

2024年10月12日 朝日 ヒバクシャの証言 唯一無二 授賞理由全文

こちらも「唯一無二」である。ヒバクシャも英語の単語となっているのだろうか。広島、長崎の草の根運動が、核兵器のない世界の実現にむけて尽力したこと、二度と核兵器が使われてはならないことを証言しつづけたことが授賞理由の冒頭の説明。次いで、詳細にわたるけど、原爆投下を受け、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的結果への認識を高めるための世界的な運動が起こり、メンバーたちはたゆまぬ努力を続けてきたと続いている。

やはり、理由にもあるように、世界中に幅広い反核機運を生み出し、それを強固なものにすることに貢献したとあり、まさにという感じだろうか。そしてその運動の中においてヒバクシャの証言は唯一無二のものであると。筆舌につくしがたい描写や考えも及ばないことを考え、核兵器が引き起こす悲惨さについて周囲への理解の一助になっていると。本当にこうした事実を継続して検証し発信し続けることにどれだけの労苦があっただろうと胸も痛くなる。

ノーベル委員会は、この80年近く、戦争で核兵器は使われていないという事実が、日本被団協の活動の賜物であると語っているようだ。今の戦後世代にはどうしてもほど遠い感覚があるけれど、それじゃダメなんだろうということを肝に銘じる必要はあるんだろうか。核の脅威をちらつかせて戦争外交を進める国もあって、核なき戦争であれば継続してもいいのだと言わんばかりに戦争を実行している国もある。どうなんだろう?と本当に思う。

「核戦争は文明を破壊するかもしれない」とい記述もあり、重たい意味が付されている内容。そして「生存者たちが肉体的苦痛や辛い記憶にもかかわらず大きな犠牲を払った経験を生かして平和への希望と関与を育むことを選んだことをたたえたい」と記されている。

ヒバクシャもいずれ歴史の証人で居続けることは難しくなる。でも若い世代にも継承されているとも記されていて、広島や長崎にはそうした世代が育っているのだろう。核の抑止への貢献。これは間違いないだろう。けれでもそうした声が世界中に届いているとも思えない。アルフレッド・ノーベルの遺言は、「人類のために最大の貢献をした人をたたえる」という願いが込められている故に、被団協の活動はまさにということだろうか。

こういう記事を読んで思うことはあるけど、なかなか日常事にはならない自分を反省しなければならないと思いながら、授賞理由全文を読んだ。授賞を祝福するというよりも(勿論祝福を排除せず)、一つの活動の意味の証を獲得したと受け止めるべきかなぁと。

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