もう誰も信じられなかった
高校二年生から3年ほど誰のことも信じられなかった。
かといって今信じられているかといわれるとそれはまた違うのだが。
その話はまたの機会にするとして、人を信じられないというのはどんな状態なのか、なぜ信じられなくなったかということを今回は考えたいと思う。
参考までに以下の記事を読んでいただけると理解が深まる気がするが、いかんせん長いので読まなくてもわかるような執筆は心がける。
が、わかりにくかったら申し訳ない。
なぜ人を信じられなくなったか
私が「他人」と書かないのには理由がきちんとあって、自分自身も信じられなくなったから、「人」と表現している。
セルフスティグマとパブリックスティグマ
「スティグマ」自体を聞いたことがある人が少ないと思う。
すごく簡単に言うと「偏見」のことである。
以下の記事で偏見について触れているので興味がある人は良ければ。
順番が前後するが「パブリックスティグマ」とは周囲の人間が持つ偏見(スティグマ)のことである。
対して、「セルフスティグマ」とはパブリックスティグマによって生まれる個人の中の偏見(スティグマ)である。
セルフスティグマを具体的に表すならば、
アイドルが「世間はアイドルは笑顔でいるもの」と考えているだろうから笑顔でいなければならない
みたいな感じだ。
鍵かっこ内がパブリックスティグマ、太字がセルフスティグマである。
多分。
要は、これが私の中にあったせいで私は対人関係をこじらせるはめになった。
精神科・心療内科に対する偏見
私は高2の秋、11月頭に初めて過呼吸になって(体調を崩し始めたのはもう少し早い9月とか)毎日苦しんでいたのにも関わらず、最終的に精神科にリーチしたのは高校三年生の6月である。
なぜ半年のラグがあるか。
それは私の中に偏見があったからだ。
偏見①
精神科に行ったら自分がやばいと認めることになる
これは偏見なのかといわれると少し曖昧というか、どっちかというと認めたくなかっただけみたいな感じではあるんですが、これが支配することでほかの偏見が生まれたように思ったので紹介。
まあ、普通に考えたら過呼吸に毎日なって帰れないとか、動けなくなるとか、ずっと死にたいとか普通ではないんですよ。
ここでの普通っていうのはそれまで以前の自分と比べるとという意味で。
だけど心のどこかで、急に治るかもとまでは思わなくても時間が解決すると思ってたんですよね。
それは思考化声タイプなせいで幻聴に気が付かなかった(3年)とかも、自分がそこまでじゃないと思っていた一因ではあるでしょうけれど。
あとは三学期が始まるまでは体調が悪いことはあっても過呼吸が部活以外では起きてなかったというのも大きいかもしれません。
とにかく当時は自分に自信がなかったので少しでも普通から外れることが怖かったです。マジョリティでいたかった。
偏見②
親にどう思われるかわからない
別に親が厳格とかってわけではなくてむしろ愛情たっぷり、ちょっと過保護なくらい。
わたし高校に進学するとき親の反対を押し切って中高一貫校から高校受験してるんですよ。だからただでさえ裏切ってるのにもう裏切れないって。親の理想の子供でいたかったんです。長子だからなのかなあ。
周りの目
思い出せる自分の中にあった偏見はこのあたりなんですが(きっともっとあったでしょうが)とにかく普通でいたかったんですね。
普通でいたかったのには理由があって、まず楽器があんまり上手じゃない。
私が下手というか同期があまりにも上手いから自信なくしてたんですよね。
勉強はある程度できるほうではあったんですが、部活で勉強時間が消滅するとともに成績も中くらいになってしまって。
本当に当時は自分が副部長な理由がわからなかった。
先輩はすごいリーダーシップを持っていたり、みんなを笑顔にできる存在だったり、楽器がすごく上手だったり、みんな何かのお手本だった。
わたしはお手本になれなくなってしまう。
それが怖かった。
「授業ちゃんとでなよ」
私は不安で吐きそうになったり、過呼吸になったり、動けなくなったりとだんだんと授業を受けることができなくなった。
事情をクラスメイトに話すことはしなかった。
話したいと思う人がいなかった。
わかってもらえると思わなかった。
まだ話せるほど強くなかった。
ある日私のもとに一通のDMが届いた。
「授業ちゃんと受けなよ」
そこにはそう書かれていた。
正直しゃべったこともない異性から一通目でそんなおせっかいなことを(失礼)言われるとも思ってなかったし、事情も知らないくせにと思った。
まあ言ってないからだしなと思っていろんな言葉を押し込めて
「授業中なのにドアガラガラ開閉してうるさいよねごめん」
と返した。
「謝ってほしいんじゃなくて授業でなよって言ってるだけ」
ああ、話にならないなと思って私は彼と会話することをやめた。
一番精神的につらい時期によくわからない人にそんなことを事情も知らずズカズカといわれるのがすごく不快だった。
同時にクラスメイトみんながそう思っているのかもしれないと思うと教室に入ることが怖くなった。
朝のHRを受けることができなくなった。
しゃがみこんでしまって、足が動かなくなった。
「もう過ぎたことだから仕方ない」
12/31付で私の親友は転校した。
三学期、登校すると朝のHRで私は担任に廊下に呼び出された。
「残念だったな親友のこと。まあでも過ぎたことは仕方ないから切り替えていこう」
何も知らないくせに。
私が彼女のために何をどれだけして、思って、
知らないくせに。
なにが過ぎたことだ。
彼女の人生も、私の人生もまだまだこれから広がっていくのに。
切り替える?そんなことできたらしてるよ、
わすれたくないんだ
高校二年生の担任は私からの信用を失った。
以降、私は彼からのこのことに関する質問には一つも答えなかった。
高3の担任
まあ正直言ってこの人は教員向いてないです。私から見て
親も友達もキレてたので。
なので ※胸糞注意
「お前の担任じゃなきゃよかった」
いつどのタイミングで言われたかわからないですけど、どんだけ手かかるんだよみたいな意味合いで言われて私だってあなたの世話になりたくないしできることなら普通の学生生活が送りたいよ、と思った記憶があります。
「俺に言わないで」
薬の副作用でこう言うのが出るかもしれないからと医師から注意を受けたので念のため担任に伝えたところいわれた言葉。
症状でこういうことができないと言ったりしても同じ対応。
担任ちゃうんか?と思ってましたまあ今も思ってます
「こいつテストうけるたびに倒れるんですよwww」
普通にこれは倫理的に大丈夫か?この人って思いました
実際倒れてはいたんですが、それは立った時に血圧が下がってしまったり
気分が悪くなってもテスト中手を挙げられる状態になかったり
(体調は急激に変化していたので自分でも予想がつかない状態でした)
それでもテストを受けないと単位が危うかったので
遅れて車いすで入室してでも受けていたのに
そういわれたので さようなら~ と思ってました
「日東駒専くらいなら頑張れば受かるんじゃないですか 頑張れるならw」
普通に人間として疑ったし、親がキレましたね帰宅してから
まとめ
このような出来事が積み重なり、ただでさえ自己肯定感が低かったのにさらに下がったり、偏見が増長するということが起こったわけです。
はあ~いやだった!!!
人を信じられなくなってから
人を信じられなくなるってどんな感じなのか
結構、辛いです。孤独なので
私の場合は自分が一番他はその次という考え方なので宗教などにはまることはなかったですが、人によっては危ない宗教とかはまっちゃう人もいるだろうな~と思いましたね。
どうせ~思考
「どうせみんなこう思ってる」「どうせ言ったって」みたいな
どうせからはじまる思考でした
他人に何かを訴えても意味がないと思っていました
新しい発想がない
自分が信じられない=自分の発想をすべて否定する
のでないというか、否定してしまうという感じでしたね
理論に基づく意見は言えたけど、革新的なアイデアとか言えない
だって「どうせ」否定されるし
音信不通
これ未だにやってしまうんですよね
本当によくないし、死んだかと思われるくらいすべてのSNSや連絡手段を断つので即座にやめたいのですが限界が来るとやってしまうのです。
どんな時かというと、他人を見るとイライラするくらい自分の体が動かない時が多いです。
これは他人を見たくないという意味でのシャットダウン。
もう一つは大切に思う人に対して。
ものすごい深層心理的な話ですが、たぶん心のどこかで心配されたい欲があるんですよね。これがすごく厄介。
この気持ち一つで体調が本当に悪化してしまう(転換性障害に近い)ので変えたいのに自分の考えかといわれるとまた違うっていうか…
話がそれちゃいましたね。
連絡とらないと心配してもらえるというのがある気がするんですよね。
深層心理なのでわからないですが。
自分から連絡を絶つ
あとは私高校時代以降、人と別れることにすごく敏感で。
バイバイ~じゃなくて
またね を絶対使うという自分ルールがあるくらい
そのくらい小さい別れでも嫌なんです。
人が自分の周りから消えていくのがこわくて
自分から消えてしまうことがあります。
自分から消える分には自分のせいにすれば済むので
楽なんですよね。
認知のゆがみだな~とはわかっているんですが。
実は親友とも連絡が取れていなかったりします。
怖いんです。またいなくなるのが。
彼女の苦しむ姿を見るのが。
私が苦しむのが。
でもこれを機にまた連絡を取ってみようかな。なんて。
出来たらいいですね。応援してね。
おわりに
人を信じられない、人間不信なんて言いますが本当にまったく信じていないわけではないと思うんです。
心のどこかで誰かが助けてくれるんじゃないかって。どこかで信じて助けを待っているんだと思います。
でも、助けを自分で呼べないからこんな状況にいるわけで。
わたしも絶望の底にいるときはもう本当の友達は作れないと思っていました。
そう思ったから、大学一年生の夏休み私は友達と連絡を取ることをやめてしまいました。あのときはごめんね。
でも友達は信じて待っていてくれました。
秋学期、会ったらおはようって。
普通に接してくれました。
夏休みのお土産をくれたり、履修の話をしたり、また日常が始まりました。
本当の友達なんて何かわからないような抽象的なものだけれど、
私が決められるのならば
いつでもいつも通り接してくれるそんなあなたたちが本当の友達です。
これを読んでくれているあなたのそばにも
きっと本当の友達がいるし、これからだってできます。
自分の世界を狭めないで少しずつまえに進めますように