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『Hand in Hand』と行く福島環境再生ツアーを通して考えたこと

2025年2月11,12日福島県で行われた環境省主催の『Hand in Hand』と行く福島環境再生ツアーに参加した。
この体験を通して私が考えたことを今回は話していきたいと思う。


わたしにとっての東日本大震災

震災当時、わたしは幼稚園の年長(6歳)であり、正直明確な記憶は残っていない。
当時は横浜に住んでいて、公文に行く途中地面が大きく揺れて母が公園で私と妹に覆い被さるように守ってくれたのを覚えている。
しかしながら当時の私は地震に対して怖いという感情はさほど抱いていなかった。
その日の公文はなくなり、家に帰るとテレビで東北地方の様子ばかりが放映されていた記憶がある。

当時マンションの3階に住んでいた私の家には9階に住んでいた友達が避難してきていた。
しかしながらそれさえも幼稚園児にとっては『お泊まり』でありなんとなくなにか大変なことが起きているとは分かっていても深刻に捉えることは無かった。

気付かされた母の想い

今回のツアーを通してわたしが他の人に比べて当時の状況について知らないことが多いことに驚かされた。

当時幼稚園児(妹は3歳)だったこともあり、母は津波や原子力発電所爆発の映像を意図して見せなかったとように思える。

実際、お恥ずかしながら私は今回のツアーで原子力発電所が爆発していたことを初めて知った。

これは母なりの小さい子供に怖い気持ちをさせたくないという気遣いだったのかもしれない。

小さな詩人

私の撮影が大変下手くそなのだが、この詩を見てほしい。
できる限り読んでもらいたい。(後ほど文字起こし予定)

これは東日本大震災・原子力災害伝承館に展示されているある子供の書いたであろう詩だ。

みなさんはこの詩を読んでどう感じただろうか?

わたしは「とても良い詩だ」と感じた。

それから「もっとこの人の詩を読んでみたい」と感じた。

東日本大震災から約14年が経過しようとしている今日、この作者はいまどこで幾つで何をしているのだろうか。

考えたくもないが、作者が生きている前提で話している私たちは愚かで、これは遺作の可能性すら孕んでいる。それが震災なのだ。

わたしはこの詩から「当たり前が当たり前じゃないこと」を勉強させられた。

県外最終処分ってなんだ?どうなるんだ?

先述の通り、原子力発電所の爆発を知らなかった私にとっては除去土壌すらもはて?なんのことやら?だったので一応説明を。

福島第一原発でおこった水素爆発などにより、原子炉内の放射性物質が空気中に拡散。(放射性物質は人体に悪影響を与えるものを含んでいる)

ニュースでマイクロシーベルトとかベクレルとか単位を聞いたことのある人もいるのではないでしょうか?

爆発により放射性物質で汚染されてしまった場所を綺麗にしていくのですが、土に関しては表面を剥いでいく形で汚染された土を回収しました。

回収した土は福島県内1000箇所以上にわたる仮置き場に置かれていましたが、現在は双葉町大熊町にまたがる中間貯蔵施設にて保管されています。

汚染土壌の保管の様子 中間貯蔵施設にて

除去土壌は2051?年までに県外最終処分といって福島県外での処分をすることが決まっています。

県外最終処分で考えられる除去土壌の使い道

画像のように除去土壌を道路の芯の部分にするような使い道が考えられているそうです。

実際に線量計(放射線の被曝量が測れる)を用いて除去土壌の上で計測を行いましたが、0.2マイクロシーベルトほどと問題のない数値でした。

県外最終処分はあなたの街で行われるかもしれません。
自分ごととして調べたり、考えたりして見てほしいです。

意見交換会

今回のツアーで個人的に最も有意義だった時間ともいえるのが意見交換会である。
ツアー参加者が3つのトピックを中心にこの2日間で感じたことを語った。

トピック
①実際に福島に来て印象に残ったこと
②環境省が除去土壌に関する課題の認知度を上げるにはどのようにしたらいいか?
③身近な人にこの課題を伝えるならどうするか?

わたしの感想


まずは私の感想から

①福島に来て印象に残ったこと

わたしは11月に石川県能登にボランティアに参加した経験がある。その際に感じたのは地震から1年が経とうとしているにも関わらず、道路の舗装や瓦礫の撤去など復興が進んでいない現状である。
福島は被災から14年が経とうとしている。実際、復興しているかと言われると「場所による」というのが答えだと思う。

福島には住むことが許されていない地域や、入るのに許可が必要な地域があり現状を変えることが困難な場所が多く存在した。そのような場所に関しては復興している。とは言い難い。それがいい事とか悪いこととかが言いたい訳ではなくて、現状なのである。双葉町の視察ではまだ窓が割れ残った家屋や時間の止まった時計、当時のままのお店があった。

しかしながら、それが福島の復興の全てでは無い。

大熊町ではCreva大熊という施設が3/15に完成する。中に入らせて頂く機会があったが、木の温もりを感じる暖かな施設であった。町唯一の夜遅くまで営業するファミリーマートがあったりと、革新的な事業も進んでいる。

浜通りではないが、福島駅は私たちの住む町と何ら変わらぬ盛り上がりでたくさんの人がいる「普通」があった。

②環境省が除去土壌に関する課題の認知度をあげるにはどうしたらいいか?
③身近な人にどう伝えるか?

わたしは「発信」と「学習」のふたつがテーマではないか?と思う。

まずは、身近な人に発信すること。
興味がないのではなく「しらないから興味に至らない」なんてケースは沢山あると思う。
だからまずは身近な人でいいから「話してみる」が大切だと思う。

そのひとつの例としてこの記事が存在していると思って欲しい。

2つ目は学習。

知らないから興味に至らない
ということは「知っている」にする状態が重要である。
小中学校の社会の授業で東日本大震災は取り扱われている。しかしながら、近現代の歴史というのは足早に終わってしまうもので存在を知って終わりというケースは少なくない。

東日本大震災は震災であり人災でもあると東京電力の方は仰った。

わたしは道徳の時間などでも東日本大震災について知る機会があってもいいのではないかと思う。決して道徳に限定しなくても、社会で掘り下げてもらえるだけでも話は違うと思う。

だからわたしはまず「知って」ほしい。


交流会で得た周りの意見

①福島に来て残った印象

意見は主に4つに別れた。

①来る前から怖いと思っていたが、怖さがなくなつた人
②来る前から怖いと思っていて怖さが増した人
③来る前は怖さを感じなかったが、怖さを感じた人
④来る前から怖さを感じず、怖さがないことに安心した人

わたしは④であった。

①は怖さが無くなったというより、説明を聞いて怖がることは無いと知ったというのが正しいだろうか。

②③は詳しく知ったことで反対に恐れるべきことだと感じたという感じ

④は怖いという人を知っているが自分は住んでいる人がいるし、、などの考えで恐れることがなく、説明を聞いてより安心の結論に至ったというのが、近い


②除去土壌の課題をどのように伝えていくべきか?

ここではとても興味深い意見を聞くことが出来た。

そもそも除去土壌を県外最終処分するべきか?

という意見である。
わたしの中にはその視点がなかったので驚かされた。

大きなお金をかけて除去土壌を県外最終処分しなくても、いまある中間貯蔵施設に留めておくことができればその分のお金を他のことに回せるのではないか?という意見だった

これに対し、双葉町に住む環境省の方は

そこに住んでいた方はなにか悪いことをしたのだろうか?

と質問をなげかけた。
突然その場所には住めないと追い出される。
なにか悪いことをした訳でもないのにゆかりある地を追い出されるその悔しさは計り知れない。

わたしがこの意見を聞いて感じたのは

若者にゆかりの地を大切にする文化が減っているのではないか?

ということである。
近年では勤務地の変更などに伴う転居が多く一つの地に住み続けるというのが減っている気がする。
だからそこに住み続けたいという気持ちが理解しにくくなっているのでは無いだろうか?

③身近な人にどのように伝えるか?

わたしは友達などに伝えればいいと思っていたがここでも驚いた意見があった。

それは周囲の人の意識が高いから聞いてくれる。

たしかに、わたしは大学生をしているからある一定の意識の高さを持っている人が周囲にいるのは間違いない。

しかしその環境が当たり前だと思っていてそれが世界の全てのように考えてしまっていた。


まとめ

今回福島にいって自分にはまだまだ知らないことがあるとか知った。それは日本国内だけに限らず世界にもっと沢山あるのだと思った。

伝えていく方法は意外と地道に進めるしかないのかもしれない。

良かったらみなさんも福島に足を運んでみてくださいね

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