リストカットを肯定しない立場になれた話
鋏を目にする度に思い出す言葉は
26:00(しんやにじ)の君のLINE / 徳井なゝ子
鋏(はさみ)
わたしは推奨派ではないけれど、リストカットのことは肯定したいと思っていました。いましたということは今は違うということです。正確には100違う訳では無いけれど、何より言及しなくていい世になればいいと思っています。
なぜリストカットを肯定していたかと言うと、それが逃げ道になるならガス抜きしないで爆発しちゃうより、どんな形であろうとガス抜きできる方がいいと思っていたからです。今も正直そう思う部分があるから100肯定派ではありません。と言い切ることはできません。実際、逃げ道があるほうがパンパンにならなくて済むと思うからです。
そう言った時多くの人は『リストカット』の言葉の大きさに言葉を失ったり、言葉を選んだりするのに精一杯であまり深い話をしませんでした。まるで私の言葉を逆撫でしないようにしているようでした。
ある人は違いました。
それでもあなたの逃げる場所はそこじゃないでしょ
と教えてくれました。
私は気が付きました。
リストカットしてしまう人のことを肯定したかったんじゃなくて、できたら楽なのにと思ってしまう自分とか、リストカットしてしまったときのいつかの未来の自分を否定しないようにしたかっただけなんだと。そのための肯定派だったのだと気付かされました。
ある人は言いました。
もし、どうしても切りたくなったら他の人に切ってもらうように。
他の人のこと傷つける人なんていません。そういう事なんです。傷つける人はいない。なのに自分だけが自分を傷つけていいわけが無かったんです。
自分だけが許されることなんてこの世に一つとしてなくて、なのにわたしたちは自分が自分にすることは良いかのように思ってる。
大間違いです。
わたしたちは他人を大切にするように、自分のことも大切にしなければならない。そう思った深夜2時でした。
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