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【企画参加】♯覚えているいちばん古い記憶

ニコニコというよりはニヤニヤに近い母の顔を見ている。

わたしがいる場所は、母がかいた『あぐら』の中。

赤ちゃんには頭を含めて全身がスッポリ入るちょうど良いサイズのあぐら。シンデレラフィット。

プニプニの気持ち良い太ももの固さ。

愛おしそうにわたしを見る母の笑顔も好きだった。

母があぐらをかくと、自分の方からハイハイして、母のあぐらの中に入り、上を向いて寝た。

まだ言葉を覚える前だったから、生後半年くらい。

「そんな年齢なんて、覚えているわけない」

だとか

「記憶はあとでいくらでも作り替えることができる」

なんて人がいるけれど、小学生のとき、母に

「お母さんがあぐらをかいたら、わたしの方からハイハイして入って行ったよね?」

と聞いたら

「嘘でしょ!? 生後数ヶ月だよ? 覚えているの?」

と驚かれた。写真が残っているわけでないのに、その思い出を言えたというのは、やはり、記憶なんだと思う。

それに、生後6ヶ月くらいから1歳数ヶ月くらいの記憶は、他にもたくさんある。

ゆりかごに入って寝ているとき、天井から吊り下げられたクルクルまわるものを眺めていたこと。

保育所の庭で小さいビニールプールに入ったこと。

保育所の個室の和式トイレをまたいで用を足してる最中、歌いまくったこと。

ある日突然、外で踊らされたり、階段を上らされた保育所の運動会。

この保育所は、2歳までしか居られない無認可のところだった。

画像として覚えている記憶は、どれも『楽しい』『嬉しい』『気持ち良い』の正の感情のときだけだ。

次に入った保育園の記憶はたくさんありすぎて、全部書いたら相当な長文になってしまうくらいだ。この頃の記憶は、負の感情のものも混ざってくる。

わたしから幼少期の記憶が抜けない明らかな理由はわからない。

でも、もしかしたら、保育園の年長児のときに、高いところから落ちて頭を打ち、病院に救急搬送され、半日意識を失っていた体験と関係しているのかもしれない。

普通、人間は、6歳くらいのときに、言葉や学習以外の記憶を一旦ほとんど忘れるらしい。

でも、わたしは記憶を残された。その代わりかどうか、高いところから落ちて半日意識を失った約半年後の小学1年生のとき、言葉の一部を失った。

具体的に言うと、『だぢづでど』と『らりるれろ』の区別がつかない。

『だぢづでど』が、しゃべれない。読めない。理解できない。覚えられない。

つまり、失語症・失読症である。

それを治すのに、あるいは、一部の言葉を覚え直すのに、1年間もかかった。学力の低下も酷かった。学力が人並みになったのは、小学3年生くらいからだった。

今回は、こちらの『♯覚えているいちばん古い記憶』企画に参加させていただきました。

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椎良麻喜|物書き(グルテンフリー/小説/エッセイ/写真)
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