繊細さや鬱、発達障害は免罪符なんかじゃない
自身が繊細(HSP)であるだとか鬱病等の精神疾患である、または罹患歴があるだとか発達障害であると様々なSNSのプロフィールに記載したり、発信したりしてアピールする人が昨今多いなと思う。
それらを公表してそれに対するライフハックを発信しているのであれば問題はないのだけれども、私は繊細だから〜、鬱や適応障害になったから〜、発達障害だから〜と日常生活における問題や怠惰さを自己受容し過ぎているように感じることがある。
まるでこれらを抱えているから仕方ない、しょうがないと最初から諦めてしまい、むしろだから私がこれをできないのは、これが嫌いなのは当然だよね! と言わんばかりな状態になっている場合もある気がしている。
本来、HSPのような繊細さや精神疾患、発達障害は圧倒的なディスアドバンテージである。それらがあるということは社会生活を営んでいく上で圧倒的に不利である。マイナスな属性でしかない。
また、他人に対する印象も良くない。正直変に気を遣わなければならないめんどくさい人だ。そんな悪印象を与えるため当事者にとっても、それらを知られることはマイナスだ。だからこそ、普通の人に近づけるように努力する必要もある。
それにも関わらず、私はこうだから仕方がないんです! むしろそんな私に気を遣うべき! と言わんばかりに過度に自己受容したりアピールする人が増えているように思う。まるでこれらが免罪符にでもなるかのように。
自己肯定感を高く持つことが大切だという風潮がある。これは自己否定しがちな人には確かに大切で、自分を常に責めがちな人の場合はもう少し自分を許してあげる必要があるしもっと自分を労って肯定してあげた方が良いと思う。
ただこれはあくまで自分に厳しすぎて常に自己否定しがちな人に対しての話であって、自己肯定感が高すぎるのも問題なのではないかと私は思っている。過度に自己受容し過ぎて、または自己評価が高過ぎて己を省みることが全くなくなり、ただただ怠惰である、それか堕落している人が増えているように感じる。
特に最近は他人を傷つけないように過度に配慮するようになり、また面倒ごとを避けたいためか他人に対して何も指摘しないのを是とする風潮にあるため、自分で客観的に自己を把握し改善していかないとあっという間に駄目人間になり、そのままになる。もう一つ間が悪いことにSNSが発達したおかげで自分と同じようなクズの同士を見つけることが容易となり、そういう人達とグループを作れば自分の怠惰さを肯定してもらえる環境にもある。
そのせいもあって、よりHSPや鬱等の精神疾患、その罹患歴、発達障害の免罪符として掲げられがちになっている。(他にも弱者男性だとかマイナス属性アピールの亜種はたくさんある)
でもそれらは本来、圧倒的なディスアドバンテージでしかないので、日々改善に努めるべきであるし、それらの性質が発露してしまう時はどうするかしっかりと対策を練り実践し、生活していきたいものである。
そうしていく努力を怠らないように私はしていきたい。
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