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2024年の最後にどうしても書きたかった、まだ乗り越えられていないひとつの”死”のこと

※ご注意※
この記事には、人の死についての内容が含まれます。
苦手な方はご注意ください。

2024年。身近にひとつ、死がありました。

私の中でまだその死が昇華しきれておらず、ずっと胸の奥底でじくじくと膿んでいる感じです。
2024年のうちに気持ちの整理をしたいと思い、そのことについて書くことに決めました。

亡くなったのは、夫の叔母です。

義理の叔母なんて、普通はちょっと縁遠いですよね。でも叔母は目と鼻の先の近所に住んでおり、私が夫と結婚してから10年近く、ずっと傍にいる存在でした。

叔母は、不器用な人でした。
結婚せず長く実家で暮らし、仕事も定職ではなく、甥っ子の嫁である私にはじめから手放しで優しいわけでもありませんでした。話しかけても返事がなかったり、視線が合わなかったり、そういうこともありました。

だから、私にとって叔母ははじめ「少し怖い人」でした。

でもそれが結婚して1年、2年、と経つうちに少しずつ会話をすることが増え、だんだんと、叔母の心の底の優しさが私にも見えてくるようになりました。この人は不器用なだけなんだな、と気づいたのです。
そもそも夫は、この叔母のことを慕っていました。子どもの頃からとても手をかけて可愛がってもらっていたんです。悪い人なわけがなかったんですよね。

私と叔母の距離感は決してフランクなものではありませんでしたが、ある時、大きな変化がありました。
私に娘が生まれたのです。現在4歳の、長女ちゃんです。

叔母は長女ちゃんを、それはもう可愛がってくれました。おもちゃやお菓子を買ってくれたのはもちろんなのですが、とにかくたくさん、遊んでくれたのです。

天真爛漫でよく言えば元気、わるく言えば大人の言うことの聞けない、じっとしていられない長女ちゃんを一度も叱らなかったのは、叔母だけです。叔母は本当に子どもに優しい人でした。
ダメだよ、と笑ってたしなめて、それでおしまい。どれだけ長女ちゃんに振り回されても、疲れたり嫌な顔ひとつしませんでした。

だから長女ちゃんも、自我が芽生えるにつれ、どんどん叔母のことが大好きになっていきました。長女ちゃんは叔母のことを、名前で、「〇〇ちゃん」と呼んでいました。
夫の親戚はみんな近く住んでいるのですが、長女ちゃんは間違いなく、この叔母のことが一番好きでした。

長女ちゃんが一度大きな怪我をした時も、一番に駆けつけてくれたのは叔母でした。あたふたする私にとっても、痛がる長女ちゃんにとっても、どれだけ心強かったことか。

引っ越しなど人手が必要な時には、頼まずとも手を貸せるように待っていてくれたりもしました。
いつでも、夫の方にさりげなく、困った時には連絡ちょうだい、と言ってくれる人でした。

私が入ったことのない叔母の一人暮らしの部屋(途中で実家を出たのです)にも、長女ちゃんは何度も遊びに行きました。
何をして来たの?と聞いたら、「一緒にお料理させてくれた!メイクもしたよ」ととても嬉しそうに教えてくれました。

そして長女ちゃんは「次は〇〇ちゃんちに泊まりたいな」と言いました。

生まれてこの方、夜は私と添い寝でしか寝たことのない長女ちゃんがそんなことを言うから、私は笑って答えました。
「そうだね、長女ちゃんがひとりで寝られるようになったらね」

でも、お泊りの日は永遠に来ませんでした。

私が、下の双子を出産したその次の週のことでした。
叔母は突然、病気でこの世を去りました。

親戚中が、双子が無事生まれたことを喜んでくれていた矢先のことでした。私と双子は退院したてで、家には私の母も手伝いに来てくれていたので、叔母はまだ双子に会いに来ていませんでした。

双子が生まれた日に夫が送った「産まれたよ!」という親戚グループLINEには、絵文字で反応をくれていました。
でも、その後の夫の「もう少し落ち着いたら、いつものお正月みたいにみんなで集まってご飯でも食べよう」というメッセージは、既読になることはありませんでした。

あんなに子どもが好きだった叔母。
私が双子を妊娠した時も心から喜んで、妊娠中の私のからだを気遣い、お姉ちゃんになる長女ちゃんのことを心配してくれていた叔母。
双子を無事に出産するという大役を果たせてホッとしていたのに、まさか叔母に双子を見せることすらかなわないとは、夢にも思いませんでした。

長女ちゃんが「泊まりにいきたい」と言っていた日から、わずか一週間後のことでした。

私と叔母が最後に会ったのは、入院の2日くらい前。私の足のむくみが酷いのを心配してマッサージをしてくれたのです。
その後、私が双子を生むときに緊急入院になってしまった時には、叔母は長女ちゃんの元に駆けつけ、突然ママと別れることになり大泣きしている長女ちゃんを宥めてくれました。

本当に最後の最後まで、お世話になりっぱなしでした。

双子を見て欲しかった。
抱っこして欲しかった。
コロナがなければ病院に面会に来れたのに。あの時ああだったなら、こうだったなら。
お墓にも仏壇にもさんざんお礼を伝えましたが。いろいろな後悔や未練がずっとずっと心の中で渦巻いて、なかなか乾ききりません。

しかし、”死”ほどどうしようもないものはない、とも分かっています。さんざん泣いた末、遺された者にできるのはこの3つしかないかな、と最近思います。

忘れないこと。前を向くこと。今を大事に生きること。

遺されたものにできること

長女ちゃんは、これが自然と完璧にできています。やっぱり子どもは強いですね。
死の直後にはわんわん泣いていましたが、長女ちゃんは「〇〇ちゃんは心のなかで生きてるからだいじょうぶ!」と平然と言いきります。
夕方には星を見るたび「〇〇ちゃんだ!」と言って笑うし、当たり前のように仏壇に「〇〇ちゃん、見て~!」と話しかけに行きます。
そういう姿に、救われます。

双子がもっと大きくなったら、叔母の話をしてあげようと思います。長女ちゃんと一緒に、叔母の数少ない動画を見返して、○○ちゃんは優しかったね、と思い出話に花を咲かせたい。
その頃には、私の心の傷ももう少し乾いていることを願います。

自分も緊急入院を乗り越えたりして、「人は意外と死なない」と思うときもあるけれど、あっけない時は本当にあっけない。
夫が訃報の電話を受けたあの瞬間、夫の顔、空気、抱き合って泣いたこと。まだ忘れられそうにありません。

でも、いつかこの湿度も消えていくことでしょう。私たちはまだ、生きているから。

本当に、ありがとうございました。お世話になりました。
どうか3人に増えた私たちの子どもを、いつでも空から見守っていてください。
あなたにもらった優しさを、私たちが忘れることはありません。

ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら、ありがとうございました。

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